会報「ゆきしろ」82号

(令和2年12月発行)


 この「ゆきしろ82号」は令和2年4月1日~令和2年9月30日までの分を掲載しています。




     第82号
(発行者)
 社会福祉法人 富山県視覚障害者協会
 〒930-0077
  富山市磯部町3丁目8番8号
 電話 (076)425-6761
  Fax (076)425-9087
 Eメール:bcb05647@nifty.com
 Homepage:https://toyama-ssk.com/
(発行責任者)
 会長  塘添 誠次


 上の題字は 鶴木大壽 氏によるものです。

【ゆきしろ(雪代)の意味】

 雪国にあって、大地が春の雪原と接する部分で静かに融けはじめ、しずくとなり、やがてかすかな流れをつくり、それが集まって春のはじめの雪どけ水となって音をたてて大河に注ぐ様を、古くから俳句における春の季語として「雪代(ユキシロ)」とよばれています。
 当協会が、このしずくが集まって大河をつくるように大きく発展していくよう、願いを込めて命名いたしました。



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【ゆきしろ82号 目次】


《巻頭言》
◆新型コロナウイルス感染予防対策下の協会運営

会長 塘添 誠次

《事業報告》
◆理事会

総務部部長 佐生 秀一

◆ボランティアと利用者交流会

施設部部長 梅本 直明

◆第69回点字競技会・第21回パソコン競技会

文化部部長 柳田 信子

◆令和2年度富山県視覚障害者球技大会

厚生部・文化部 池田 一義

◆利便性委員会お知らせ 第4回~第9回

利便性委員会委員長 濱野 昌幸
所 長 高島 豊 

《みんなの広場》
◆奥黒部の山々を縦走して

射水支部 塘添 誠次

     ▲1日目 7月30日(木)

     ▲2日目 7月31日(金)

     ▲3日目 8月1日(土)

     ▲4日目 8月2日(日)

     ▲5日目 8月3日(月)

     ▲6日目 8月4日(火)

     ▲7日目 8月5日(水)

◆青年部の紹介

青年部部長 濱野 昌幸

◆サウンドテーブルテニスの魅力

富山支部 中西 美雄

《事務局から》
◆消息

◆時事暦

◆令和2年度後期の主な行事予定

《編集後記》

文化部部長 柳田 信子

   目次ここまで



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《巻頭言》
◆新型コロナウイルス感染予防対策下の協会運営

会長 塘添 誠次(とうぞえ せいじ)

 新型コロナウイルスの流行により、私たちの生活は一変しました。外出が制限され、人と人との接触や触れ合いに不安を抱くようになりました。協会の行事も中止や縮小を余儀なくされています。会員の皆さんには、外出の機会が減り、交流の場にも影響が及び、ご迷惑をかけています。

 また近年、外出中の視覚障害者への見守り・声掛けが増えて心のぬくもりが感じられ、良い世の中になってきているなと実感していたのですが、このコロナ問題で声掛けも自粛ムードになったことに、さびしさを覚えます。

 この新型コロナウイルス感染予防のため、活動の拠点となっているセンターも休館を余儀なくされたこともありました。センターには点字図書館という大切な機能があります。ところが、点字図書館の中には図書の貸し出し業務までやめてしまったところがあると知り、私はそれだけは避けたい。外出を制限され、在宅生活が増えた時こそ読書を楽しんでいただきたい。そこで、職員には交代で勤務していただくことで何とか乗り切ることができました。

 協会の行事や各部の活動の場であるセンターは、一時は全く使用できないこともありましたが、徐々に緩和され、現在では利用制限の時間を設けず、互いに感染予防に努めながら利用していただくことにしています。どうも富山県は北信越の他の協会に比べ、いちばん制限がゆるいようです。

 新型コロナウイルス感染予防対策として、3密(密集・密接・密閉)を避けるとなっています。

 しかしながら、視覚障害者にとっては、なかなか守りづらいものがあります。換気をしたり、マスクの着用や手の消毒・手洗いは励行できますが、ソーシャルディスタンス、即ち、互いの距離を1~2メートル程度あけるのが難しく、床に線や足の形のマークを書いて促す取り組みが増えていますが、それができない。

 また、触れることで情報を得ていた私たちはそれを否定されると、大変生活しづらくなります。あたかも触れるだけで感染するように思われている人がいるようですが、コロナウイルスは触れただけでは感染しません。皮膚からは感染しないからです。是非、視覚障害者の特性を理解していただきたいものです。

 そして、9年前からスタートした同行援護サービスにより、私たち障害者の外出が容易になり、喜んでいたところでありますが、密接が避けられないという理由で、ガイドヘルパー側は、サービスは提供したいけれど感染が心配なので控えてほしい。

 また、利用者側も同様の不安で利用を控える傾向にあるうえに、イベントが中止になり同行援護の依頼が減っています。

 そうすると、今でもガイドヘルパー不足なのに、これを機にガイドヘルパーをやめてしまう人が増え、更に人手不足になってしまうのではないかと心配しています。このままでは事業所が経営破綻でつぶれたり、同行援護の事業から撤退したりして、同行援護の制度自体が崩壊しかねないと心配しています。

 コロナウイルスは口や鼻、眼の粘膜から侵入するので、マスクを着用し、手洗いを励行し、顔を触らないようにすること。そして、向かい合って話をしないことに留意すれば予防できます。一時はマスク・消毒用アルコールなどの入手が困難でありましたが、今はかなり改善されているのではないでしょうか。

 私は、互いに注意すれば同行援護は可能だと考えています。あまりにも神経質にならないようにしていただきたいと思います。

 一方、あはき業に従事している会員からは、「仕事が激減し大幅な減収になっている」、デイサービスの施設などに勤めている会員の中には、配置転換を強いられたり、休職になったりしています。

 このことについて日本視覚障害者団体連合は、国に対して「各種支援策(持続化給付金、休業補償等)の申し込みに関し、申請手続きの援助、申請手続きのための移動の支援、及び受付窓口における柔軟な対応を行ってください」「中長期的に収入が減少した視覚障害あはき師に対して、継続的な経済支援を行ってください」「訪問型施術所等に雇用されている視覚障害あはき師が不当な取扱いを受けたり、窮地に追い込まれることがないよう、該当する施術所等に対する支援とともに、本人に対する柔軟な支援を行ってください」などの要望を出しています。

 国の相談・受診の新しい目安では、  ① 息苦しさ(呼吸困難)、強いだるさ(倦怠感)、高熱などの強い症状のいずれかがある

 ② 重症化しやすい人で発熱やセキなどの比較的軽い風邪の症状がある

 ③ これら以外で発熱やセキなど比較的軽い風邪の症状が続く

といった場合には、すぐに帰国者・接触者相談センターなどに相談するよう促しています。

 そこで私がいちばん心配していることは、新型コロナウイルスに感染し、入院を余儀なくされた時のことです。病室まで家族と一緒に行くことはできません。そして、家族であっても面会させていただけません。するとどうなるでしょう。

 まず、病室内の位置関係や備品の使い方などが分かりません。そしてトイレの場所が分かりません。視覚に障害がなければトイレがどの辺にあるか聞けば自分で探せますが、視覚障害者は実際にそこまで案内してもらい、病室への戻り方を覚えなければなりません。特に全盲の人は何度か繰り返さなければ覚えられません。覚えられない時はその都度ナースコールでお願いしなければなりません。

 また、食事も取りに行けません。持って来ていただいても説明が不十分だと手探りで探しているうちに汁物の茶碗をひっくり返し、迷惑をかけてしまいます。

 これらの援助は病院側、即ち看護師さんや看護助手の人が行うことになっています。ところが、以前から医療機関での視覚障害者に対する支援は徹底されていません。これまでは、家族や知人が面会に来た時に援助を受けることで、かなり不自由さを補うことができていましたが、そのちょっとした援助が受けられなくなるのです。

 もう一つの問題は、家族との連絡が携帯電話(スマートホン)になることです。現在、病院内の公衆電話は減っており、あってもそこまでの移動が禁止される可能性があるからです。従って携帯電話を持っていない人は、家族との連絡や相談もままならず、不安のため精神的に落ち込んでしまうことが想像されます。

 これらのことは県に要望として出してありますが、コロナ以外の病気で入院しても同様なので、健康には留意していただくと共に、自衛方法を予め考えておいていただきたいと思います。

 今年度の協会の事業のうち、各種会議は状況をみて、全員の出席は望めなくても何とか開催が可能であることを判断して開催しています。他の団体や組織は書面決議やリモートでの開催になっていますが、私は直接会って話をすることを優先したいと考えています。

 しかしながら、協会の行事もたくさん集まる人気のある行事がことごとく中止にせざるを得なくなっています。そういう中でも、人数を減らし、何とか工夫すればできそうな行事は行っています。

 生きがい教室や各部の活動も不十分ではありますが、活動が再開されています。但し、大会の中止や発表の場がなくなってしまっているのを残念に思います。

 外出が減った分、運動不足に陥りがちになりますが、散歩や適度な体操をするなどして予防すると共に、精神的に抑鬱状態にならないように読書以外にも音楽を聴いたり、演奏したり、俳句や川柳を作る、落語やコントを楽しむのも良いのではないでしょうか。

 会員の皆さん、感染しないように適度な緊張感を抱きながらも、終息宣言の日まで互いに支えあっていきましょう。



《事業報告》
◆理事会

総務部部長 佐生 秀一(さそう ひでかず)

 令和2年5月21日(木)午後2時からライトセンター研修室において、理事10名、監事1名の出席により、令和2年度第1回理事会が開催されました。

 第1号議案 令和元年度事業報告

 ここでは協会事業、センター事業(点字図書館・盲人ホーム)に分けて報告され、審議の後全員挙手で承認されました。

 第2号議案 令和元年度決算報告

 ここでは、社会福祉事業(本部会計)、同じく社会福祉事業(施設会計)、公益事業(特別会計)、用具会計について審議がなされその後監事の方より監査結果報告がされた後全員の挙手により承認されました。

 第3号議案 定時評議員会の開催について

 6月7日(日)午前10時から開催する事が決まりましたが、今年度は新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から、3密を避けるため理事全員の出席は見合わせ、会長・センター所長・次長と評議員で開催することを決め、理事会を終了しました。

 また、6月7日(日)午後から予定されていた令和2年度定期会員総会についても大勢の出席での開催は困難のため今年度は中止されることになりました。



◆ボランティアと利用者交流会

施設部部長 梅本 直明(うめもと なおあき)

 7月5日(日)午前10時~11時30分の日程で令和2年度ボランティアと利用者交流会が富山県視覚障害者福祉センター研修室において開催された。今回は新型コロナウイルス対策をとり、入場すると直ちに体温を測定し、アルコールによる手の消毒を済ませて着席した。また、密を避けるため参加者を絞り、点訳ボランティアのコスモスの会、音訳ボランティアのあゆみ会、ひまわりの会、声のライブラリー友の会からそれぞれ2名の方、センターから高島所長、及び担当職員2名、利用者として塘添会長、堀副会長、施設部を代表して梅本と今年度新たに選出された宮口(みやぐち)理事を加え計15名のみの参加で実施された。

 一般会員の参加を自粛したため、事前に希望や意見を募り、それに対する回答も予め集約された上での実施となった。

 ボランティアの方々からは「内容に満足されているか」、「聞き苦しいところはありませんか?」などの思いやりの意見が出、利用者からは「とても満足しており、英語の翻訳もあり、内容も非常に素晴らしい」などの感謝の声が多く寄せられた。

 話題の中で「読書会を開催して直接聴けることが出来ればいいな」との意見があり、高岡市や小矢部市など一部の支部で実施されているとの情報もあり、今後の読書会実施が望まれた。

 また、対面音訳に関して、ボランティアの方からも「お互いに時間の都合さえつけばお応えできます」とのありがたいお言葉も頂いた。希望される方がおられたら、いつでも対応できます。

 スマホや携帯電話を利用した例も紹介され、移動が困難な視覚障害者には耳寄りな情報であった。

 「ハードルを下げて利用しやすくしたら良いのでは」との意見が出て、例えば、新しく購入した調理器具などの取り扱い説明書の点訳・音訳についても気軽に申し出てほしいとの思いやりの声も聞かれた。

 雑誌の記事が一区切りして担当が代わる際に「〇〇でした。などと名前を言ってもらえると親しみが湧いて良いのでは」との声に対しては、できるだけ希望に添えるよう会員と相談しますとのお返事をいただいた。

 また、ボランティアの方から、時節柄「特別給付金」案内文書の確認や申請方法について、特に一人住まいの視覚障害者が無事に請求・取得できているかとの心配する声も上がった。送られてくる封筒に点字の有り無しなど、県内市町村によって対応にばらつきが有ることが問題視された。

 録音図書が重複して製作されているとの指摘もあったが、主に利用されているデイジーより手軽に聴けるカセットテープを希望する利用者もあり、互いに連絡を取り合うことが大切であるとの認識を得た。

 新刊図書の検索方法については、毎月新刊図書だけを紹介する雑誌も発刊されており、センターの担当職員に申し出ていただければ、それぞれの利用者のニーズに応じた検索方法を案内してくださるとのことです。

 一部のボランティア団体がサピエ図書館に登録されていないことについては、私たち利用者の側から行政や公的機関への働き掛けをすることが重要であるとの結論に至った。

 ボランティアの方々からは、小説や文芸作品にこだわらず、普段の日常生活を営むために必要な書類の点訳・音訳の希望を気軽に伝えてほしいとのことであり、要するに利用者である私たち視覚障害者の側から大いに声を発することが大切と感じた。

 少人数での開催であったが、活発な意見が交わされ、中身の濃いとっても有意義な交流会であった。



◆第69回点字競技会・第21回パソコン競技会

文化部部長 柳田 信子(やなぎだ のぶこ)

 残暑厳しい中、そして今年は新型コロナウイルスが猛威をふるっている中でのマスクを着用して、8月23日(日)に競技会が行われました。暑い暑いと言いながら、密集を避けるため、間隔をあけて席につきました。

 開会宣言の後、点字・パソコン競技会が18名の参加者で、午前10時からライトセンターの研修室で行われました。

 最初に昨年度の優勝杯を返還し、審査員の紹介があり、大会長の塘添さんが、「今年はいろいろ災害が多い、天候の不順の多い日々がありますので日頃から気を付けて過ごすように」と挨拶されました。

 そしてオリエンテーションが行われたあと、競技に入りました。例年どおり、記憶書き、聞き書き、写し書き、速読み(はやよみ)の4種目で行われました。

 記憶書き、聞き書き、写し書きは研修室で行われますが、点筆の持ち手が汗で持ちにくく、なかなか打つことができません。

 速読みは、一人ずつ盲人控室で読みます。これが暑さのせいもあり、緊張します。普段は家で点字図書を読んでいますが、単語ごとに指が動くのですが、速読みの先生の前に座ると、人差し指にのりが付いたようになかなか動きません。まず、すべての事を平常心で出来るようにすることが大切だと思いました。

 私は、中途失明者で高齢になってから点字を習ったのですが、最初に点字触読を教えてもらって、最近になって点字を打つことを教えてもらいました。でも、なかなかスムーズに打てません。毎日、点字用紙1枚は打つようにしていましたが、打てない打てない。分かち書きも難しい。やはり、今回も思いどおりに出来ませんでした。

 その後、パソコン競技会が行われました。パソコン競技会は8名が参加して競技をしました。

 朗読文の聞き書き、短文の聞き書きの2種目で行われ、10分間でどれだけ多くの文章が正確に書けるかを競い合う競技です。

 今年は少しひねりを入れた問題を作ってあったことを講評の時に説明されました。ここで、午前の部は終了しました。

 午後の部は講師に塘添さんを迎え、昨年同様に点字に関する話をされました。

 複合語のきれつづきについての話をされ、外来語を複合して組み合わせて、どこをつなぐか、どこであけるかが、普段使っている言葉が、点訳するととても難しいことがよく解りました。

 私にはまだまだ点字のいろんなことを勉強しなければならないと、つくづく思いました。カタカナで書かれた語句に特に注意をして、これからは点字を読みたいと思いました。

 しばらくして、成績発表と表彰式がありました。にこにこ顔の皆さんと、複雑顔の皆さんが入り混じっておられましたが、競技が終わった安堵感で、みなさんすっきり顔でした。

 受賞された皆さん、おめでとうございました。下記に受賞された方々を記します。

 

     成績発表

【第69回富山県点字競技会】

○ 団体の部

1位 射水市チーム  2位 富山市チーム  3位 魚津市チーム

○ 個人総合(一般の部・中途失明者の部)

1位 県議会議長賞 鈴木 修博(すずき しゅうはく)(射水市)

○ 一般の部 個人総合

1位 鈴木 修博(射水市) 2位 佐生 真理(さそう まり)(魚津市) 3位 高島 ヒサ子(富山市)

○ 中途失明者の部 個人総合

1位 塘添 誠次(射水市) 2位 谷内 幸子(たにうち さちこ)(富山市) 3位 本江(ほんごう) とみ子(射水市)

○ 田島杯  柳田 信子(富山市)

【第21回パソコン競技会(携帯電話も含む)】

1位 田口 明美(たぐち あけみ)(高岡市)

2位 塘添 誠次(射水市)

3位 川口 勇人(かわぐち はやと)(高岡市)

 成績は以上の通りです。



◆令和2年度富山県視覚障害者球技大会

厚生部・文化部 池田 一義(いけだ かずよし)

 令和2年度富山県視覚障害者球技大会は、コロナ禍ではありますが、9月27日に行われました。

 第37回グランドソフトボール大会は、西田地方小学校で行われました。前日からの雨で大丈夫かと思われたが、朝方に雨がやみ、グランドの水はけも素晴らしく、水たまり一つありませんでした。

 しかし、集まった選手の数が12人ほどで、試合がとても出来る状態ではなかったのですが、審判団の皆さまに試合用のラインを引いてもらい、試合形式の練習で行われました。

 9時30分に開会式、塘添会長の挨拶、審判長の激励の言葉を頂き、練習に入った。

 全員が守備につき、シートノックをしてから試合形式で、バッターが一人3回打ち、3回目に打ったら走るという形で行った。1時間ほどで雨が降り出したので終了となった。賞品が3つ出ていたので、「頑張ったで賞」として、安田さん、林さん、蟹谷(かにたに)さんに贈られた。

 第46回サウンドテーブルテニス大会は、ライトセンターで9時30分に開会式が行われ、堀副会長の挨拶に続き試合が始まった。

 午前中は、女子アイマスクありの部で3つのグループに分かれリーグ戦が行われ、各組1位2位が決勝トーナメントで優勝を争った。

 午後1時から男子アイマスクありの部は研修室、男女混合アイマスクなしの部は、ロビーで行われました。アイマスクありの部は、2組に分かれリーグ戦が行われ、各組の1位2位が決勝トーナメントで戦った。

 男女混合アイマスクなしの部は、5名参加してリーグ戦で行われた。男子4人、女子1人で女性の牧野さんは、まだ初心者ということで大変苦戦しておられた。

 試合終了後閉会式が行われ、表彰式に続き審判長より総評をいただき、「皆さん一生懸命頑張っておられた。また、準決勝、決勝戦では、大変レベルの高い試合だった」と言われ、今後については、緩急のサーブを磨き、レシーブの精度を上げてほしいと締めくくられた。

 来年もまた、一人でも多くの方に参加してもらい、大会を盛り上げたいと思います。

 ソフトボール協会の皆様、レディースの皆様、ご協力ありがとうございました。

 

 球技大会の成績発表です。(敬称略)

【グランドソフトボール】

最優秀選手 安田 庄内(やすだ しょうない) 

優秀選手 林 大志(はやし ひろし)、蟹谷 保(かにたに たもつ)

【サウンドテーブルテニスA(アイマスクあり)女子の部】

優勝 本江とみ子  2位 柳田信子  3位 徳市和美

【サウンドテーブルテニスA(アイマスクあり)男子の部】

優勝 川口勇人  2位 林 大志  3位 中西美雄

【サウンドテーブルテニスB(アイマスクなし)男女混合の部】

優勝 戸出裕己(といで ゆうき)  2位 池田一義  3位 徳市秀晴



◆利便性委員会お知らせ

利便性委員会委員長 濱野 昌幸(はまの まさゆき)
所 長 高島 豊(たかしま ゆたか) 

◎ 第4回 外出自粛下での体力の維持・向上(2020年4月27日)

 本来なら今月は富山駅と、とやマルシェの改修に伴う視覚障害者の移動の安全性や利便性についてまとめるつもりでおりましたが、コロナウイルスの感染拡大により、とやマルシェは休業中で外出しない方が安全とされる世の中になっています。

 そこで今回はいつかコロナが治まった時、元気に安全に外を歩いていただくため、今、家の中でできること、体力の維持・向上について書かせていただきます。

 ご承知のこととは思いますが、人の筋肉は使わないと衰えます。そのうえ、それを取り戻すには時間と苦労が伴います。これを「廃用症候群(はいようしょうこうぐん)」最近では「生活不活発病(せいかつふかっぱつびょう)」と言うそうです。

 特に我々視覚障害者は健常者に比べ運動量が少なくなりがちで、自宅にこもる生活が長くなると筋力・体力ともに落ち込むことが予想されます。

 しかしながら、意味もなく何十分も家の中を歩き回ったり、運動の時間を作って筋力トレーニングを行うのもなかなか続けられるものではありません。そもそも楽しくありません。

 そこで、私が通所リハビリの理学療法士としてご利用者様方にご提案・ご指導させていただいている、日常生活の中に簡単に組み込める、特に足腰の筋力維持・向上の方法を書かせていただきます。

 それは3種類の歩き方で、家の中を歩く際に実施していただくだけです。特に時間をとって何かをしていただく必要はありません。歩き方を変えるだけで、あとはいつもどおりにお過ごしください。注意点としては、あくまでも「家の中で行う」ことと、「歩幅は控えめに」の2点のみです。

第1選手 つま先上げ歩行

 両方のつま先が床につかないようにほんの少しだけ上げて歩きます。バランスに不安がある方は上げるように意識するだけで十分です。これはつま先が地面の凹凸などに引っかからないように前脛骨筋(ぜんけいこつきん)などを鍛えるプログラムです。

第2選手 かかと上げ歩行

 両方のかかとが床につかないようにほんの少しだけ上げて歩きます。バランスに不安がある方は上げるように意識するだけで十分です。これはバランスを崩した時に踏ん張れるように下腿三頭筋(かたいさんとうきん)を鍛えるプログラムです。

第3選手 ひざまげ歩行

 両方のひざをほんの少しだけ曲げて歩きます。たくさん曲げるとひざへの負担が大きくなりますからご注意ください。これは立っている姿勢でのバランスや安定性を高めるために、骨盤周囲筋(こつばんしゅういきん)や大腿四頭筋(だいたいしとうきん)などの足腰全体の筋肉を鍛えるプログラムです。

 以上。簡単ですよ。どれくらい続けるかは人それぞれで、疲れたり飽きたりしたら選手交代してください。

 ここまで読まれてお気付きの方もあるかと思いますが、これらは「長く歩くための持久力」よりも「転倒を予防するための瞬発力」を重視したプログラムです。長く歩けることはもちろん大切ですが、私は、まずは転ばないことからと考えています。

 これらのプログラムは負荷や持続時間を変えることで、若い方から高齢の方まで適応できる幅広いものです。シンプルで安全性も問題ありません。

 ぜひお試しください。コロナが治まるころにはムキムキの下半身を手に入れられるはずです。

 今回は利便性委員会のお知らせ4回目にして早速の脱線でした。こんなご時世だからとご容赦いただき、こんなご時世だから書いた{お知らせ}とご納得ください。コロナが過ぎた後の明るい未来に向けて、金(おかね)だけでなく筋(筋肉)もため込んでおきましょう。

◎ 第5回 富山駅構内がほぼ完成

そして今後の心配(2020年6月1日)

 富山駅構内、あいの風鉄道高架下の新施設がすべてオープンしました。これにより駅構内の施設はほぼ完成したことになります。南北の再開発工事はまだまだこれからですが、一区切りといったところでしょうか。

 今回新しくできたのは3施設、「のれん横丁」「EATS de Meets(イーツ デ ミーツ)」「セブンイレブン ハートイン」で、それぞれについて簡単に説明していきます。

1 「のれん横丁」には7軒の飲食店が入っています。

 「おひつごはん 四六時中」 おひつで海鮮丼が出てきて、香味やお茶漬けでも食べることができます。

 「テジカエン」 富山食材もたくさん使った韓国料理店で、テイクアウトもあります。

 「かに海鮮問屋 魚どん亭(ぎょどんてい)」 富山の海産物をその場で食べたり、お土産に買ったりもできます。

 「伝串(でんぐし) 新時代」 やきとりを中心とした居酒屋さんで、串50円から、ビール190円とお手頃価格のお店です。

 「氷見 牛屋(ぎゅうや)」 氷見牛の専門店で、焼き肉・しゃぶしゃぶ・ステーキ丼・あぶり握りなどがあります。

 「氷見きときと寿司」 富山の回転ずしのチェーン店で、ネタもシャリも富山県産にこだわっています。

 「麺屋つくし」 味噌ラーメンが人気のお店ですが、塩・醤油・中華そばもあります。

 建物の入り口は東西通路沿い、中央通路から東に90メートルほど進んだ左側で、とやマルシェの最も東側の出入り口の向かい側になります。「魚どん亭」のみは6~7メートルほど手前になります。建物に入ると左側に「きときと寿司」、正面に「つくし」、通路を右に進むと隣に「新時代」、突き当りに「テジカエン」、さらに通路を左に曲がってスロープ・階段を降りると右に「四六時中」、左に「牛屋」があります。

 

2 「EATS de Meets」にはお馴染みの飲食店が4軒入っています。

 「マクドナルド」、「サンマルクカフェ」、「はなまるうどん」、「8番らーめん」です。

 建物の入り口は東西通路沿いで、中央通路から西に15メートルほど進んだ右側です。「クラルテ」出入り口の向かい側です。

 「マクドナルド」のみ東西通路沿いの5~6メートルほど手前が入口になります。建物の入り口を入ると左側に「サンマルクカフェ」、奥に進むと右側に「はなまるうどん」、左側に「8番らーめん」があります。

 

3 「セブンイレブン ハートイン」は東西通路とあいの風鉄道の間、東西に細長い店舗で、出入り口は3か所あります。

 東西通路沿い出入り口は南北通路から東に6~7メートルほど進んだ左側と20メートルほど進んだ左側になります。また、あいの風鉄道の改札前にも出入り口があります。

 店内は東西の両端にそれぞれレジがあり、西側にはコンビニ、東側にはお土産が売られています。

 さて、ここまで観光案内のようにお店を紹介してきましたが、ここからは問題点です。

 まず、最大の問題として、入り口がわかりづらい。東西通路には点字ブロックがありますが、各店舗の入り口にアクセスする分岐はありません。

 また、東西通路沿いの壁面は全面ガラス張りで、かべ(ガラス)とドア(ガラス)の区別がつきません。

 さらに、現在はやたらと開店祝いの花があふれていてとても危険です。全盲の方の単独歩行はもちろん、弱視でも視力の低い方はかなり慎重に歩かれることをお勧めします。正直言って我々にはあまり優しくない施設のようです。

 富山駅に関連して2点、問題提起をさせていただきます。

 1点目、路面電車の岩瀬浜方面行乗り場の問題です。現在、5番乗り場か8番乗り場に停車しますが、両乗り場の間には線路や別の乗り場があり、歩くと30メートル以上あります。教えてくれるのは高いところの電光掲示板のみで、間違った乗り場で待っているとおいて行かれることもあると思います。

 「日中は45分発のみ8番乗り場で、その他は5番乗り場」とのことですが、「その他は決まっていない」そうです。また、踏切の中に警備の方がいますので聞くこともできますが、とても不便です。なぜ、乗り場を6番・7番乗り場にしてくれなかったのでしょうか。今から変更できるのでしょうか。

 2点目、駅北の低床電気バスです。コロナの影響で導入時期は白紙とのことですが、実証実験も済んでおり、導入は時間の問題です。

 このバスは時速20キロ以下で、駅北と体育館を結ぶ小型電気バスです。それだけなら便利な話ですが、このバスの問題点はここからです。なんと、無人運転で歩道を走ります。もちろん今すぐに運転手のいないバスが歩道を走るわけではありませんし、安全対策も考慮されるとは思いますが、そもそも駅北ブールバールには花壇・置物・小川などの障害物が多く、自転車やスケボーの人もいました。

 さらにはこの先、オーバードホール、アーバンプレイスあたりに路面電車の停留場が作られる予定で、人の動きがますます複雑化します。これまで視覚障害者の歩行環境よりも景観や経済を優先した街づくりが進められている印象の強い中での「無人バス」はとても心配になります。

 今回は問題点やら心配やらネガティブなことの多い内容になってしまいましたが、「されるがまま」にならないよう、情報収集や発信のほか、富山市様や富山地方鉄道様とも視覚障害当事者としてお話していかなければならないことがわかりました。

 

◎ 第6回 障害者手帳もデジタル化

ミライロID(2020年6月30日)

 今回は近未来的デジタル障害者手帳「ミライロID」についてご紹介します。さてさて、この「ミライロID」とは一体何か。聞いたことのない方もたくさんいらっしゃると思います。

 これはスマートフォンのアプリケーションで、障害者手帳をデジタル化するためのものです。簡単に言うと、いつも必要なくせにジャマくさい障害者手帳をスマートフォンの中に入れておくことができます。

 あらかじめ自分のスマートフォンに「ミライロID」のアプリケーションをダウンロードして、そこに従来の障害者手帳と自分の情報を登録します。

 これにより障害者手帳と情報は自分のスマートフォンに記録され、「ミライロID」を運営する株式会社ミライロに登録したことになります。つまり障害者手帳と情報は本物であると株式会社ミライロが保証してくれることになります。

 その後、割引を申請したり、身分証明をしたりするときはスマートフォンの「ミライロID」のアプリケーション画面を見せることで認めてもらえます。

 さらに、「ミライロID」に登録した自分の情報の中には障害の状態や手伝ってもらいたい内容も含まれているので、相手に見せることができます。現場でしどろもどろになって説明して時間ばかりかかるなんてことも軽減できます。

 たとえば、視力や歩行能力などを簡潔に登録しておけば人前で障害や不自由さをザンゲさせられることなく相手に伝えることができ、スムーズにサービスを受けることが可能になります。

 そんな近未来的で便利な「ミライロID」ですが、最大にして致命的な欠点があります。使える施設がとても少ない。都会では使えるか使えないかがまちまちで、結局、従来の障害者手帳を持ち歩かざるを得ないのです。

 田舎の富山ではビックエコーとファボーレの映画館くらいしか使えません。富山地方鉄道どころかあいの風とやま鉄道そしてなんとJR西日本でも使えません。まさに現在ではない近未来の障害者手帳です。

 これは情報を管理・保障する株式会社ミライロがその名のとおり株式会社であり、情報の信用性に疑問がもたれたり、拡散に時間がかかったりして、多くの障害者割引やサポートをしてくれている事業者に浸透していないことが考えられます。

 さて、そんな現在ではなく近未来的な「ミライロID」をなぜ今ご紹介したかというと、先日、6月17日より政府は「マイナポータルAPI」の提供を開始しました。その民間活用の第一号として「ミライロID」と連携することになりました。

 細かな理屈等はいろいろとあるのですが、とても長くなるのでここでは省略します。これにより「ミライロID」の情報の信頼性は格段に向上し、より多くの施設で使えるようになることが予想されます。つまり、近未来に一歩近づいたことになります。

 今後、どの程度の速度で使える場所が増えるのか、田舎の富山にはいつごろ近未来の波が押し寄せるのかはわかりませんが、それでも近未来というのはいつかはやってくるものです。スピードに拍車がかかったこの機会に知っておくのも悪くないのではないでしょうか。

 ちなみにこのアプリケーションはアップルストアでもグーグルプレイでも無料でダウンロードできますし、登録も無料です。詳細が記載された「ミライロID」のホームページのアドレスを以下に載せておきますので、興味を持たれた方はぜひご覧ください。

 http://mirairo-id.jp

 

◎ 第7回 手引きとコロナ(2020年7月31日)

 予定では、技術的な「手引きのされ方」について取り上げるところだったのですが、新型コロナウイルスが視覚障害者に大きな影を落としている昨今の状況を考えますと、避けては通れないと思い、このテーマといたしました。「され方」については、また回を改めてお知らせしたいと思いますので、ご了解ください。

 さて、言葉によるコミュニケーションや接触による情報入手が社会生活に大きな意味をもつ視覚障害者にとって、コロナが及ぼす生活全般への影響は計り知れないほど大きいものがあります。外出によって歩行・移動しながら情報を得て目的地へ誘導してもらう「手引き」も例外ではありません。

 コロナの問題が大きくなってきて以降、手引き者・視覚障害者双方に「相手からうつるのではないか」「相手に知らぬ間にうつすのではないか」という不安が生まれ、外出にも支障を来すようになりました。  もちろん、この不安自体は否定されるべきものではありません。

 ただ、結論を「0か100か」とする姿勢があると、手引きは成立しにくくなるのではないかと考えます。

 「0あるいは100」とは、例えば

・うつるから、あるいは、うつすのは嫌だから、手引きはやめよう。手引きしてもらうのはやめよう。

・何も心配しないで手引きしよう。手引きしてもらおう。

という姿勢です。

 「コロナを正しく恐れよう」という言葉があるのは皆さんもご存じのことと思います。体調管理やマスク着用、手洗い・消毒という根本的な感染予防対策を施したうえで、どうすれば不安を最小限にして手引きに臨むことができるか、このことを双方が事前に十分話し合っておく姿勢が何より必要ではないかと思います。

 今、手引きを受けておられる方の中で、コロナに関連して「こんなルールを決めている」「こんなとき困った」などの事例がございましたら、ぜひセンターへお寄せください。また「技術編」でご紹介させていただきます。

 では、皆さん、熱中症予防もお忘れなく、暑い夏を元気に乗り切りましょう!

 

◎ 第8回 単独歩行をされる皆様へ(2020年8月25日)

 今回は、8月7日のメーリングリストで「富山駅北口歩行通路及び地下通路について」を発信しましたことに関連し、利便性委員会として、3点に絞った歩行上のアドバイスをさせていただきます。

1 横断歩道や踏切をずれないで横断するための留意事項

 横断歩道等を横断する際のエスコートゾーンや音響装置は安全に渡るための大きな助けとなり、踏切においても途中のレールを足裏で直角を確認しながら渡ることも大事なテクニックとなります。ただ、これらはあくまでも補助的要素とするべきであり、体を適正な向きに保つことが基本的な対策と言えます。

 では、どうするかということですが、横断歩道や踏切前の誘導ブロックは、横断後の誘導ブロックと方向が一致しています。したがって、横断前に誘導ブロックに沿って歩いてきた体の向きをそのまま保持して歩く意識・感覚が必要になります。

 横断時に歩く方向が変わってしまう原因の一つに、横断前に止まった際、体の向きが変わってしまうことが多いとされています。このことを防ぐためには、「停止位置を認識して止まった際に足の踏み替えをせず、そのまま横断のためのスタートに備える」という姿勢が必要です。

2 点字ブロックのどちら側を歩くか

 頭の中の地図はできているが、まだ歩き慣れていない、距離感もつかめていない、そんなルートを歩くことはよくあると思います。右左折しながらも一本道ならそんな心配はあまりありませんが、避けたいのは、分岐して曲がる道を見逃してしまうことです。

 そこで、次に曲がる方向がわかっている場合、例えば左折することがわかっている場合は、点字ブロックの左側に位置して歩く、あるいは右足は点字ブロック上、左足は点字ブロックから外れて歩いていれば、左折点字ブロックを見つけやすいし、それで見逃しても足裏で発見する可能性も大きくなります。

 もちろん、この場合は、点字ブロックの左側の安全性が保たれているという前提での方法ですので、状況に応じて活用してみてください。

3 白杖操作の使い分け

 白杖の代表的な操作法と言えば、左右にトントンと白杖の先を路面に触れながら歩く「タッチテクニック」と、ズリズリと撫でるようにしながら歩く「スライド法」があります。実際に白杖歩行をする際は、その特性を理解して使い分けることが重要です。

(1)タッチテクニック

 歩き慣れている道やわかりやすい道を歩く際に使います。例えば、直線の誘導ブロック上、車道との区別が明確な歩道、車の往来が少ない住宅街等で、スライド法に比べると歩行速度が上がります。

(2)スライド法

 歩き慣れていない道や難しい道、特に安全が求められる場面で使います。例えば、障害物の多い路地、道路横断、ランドマークや警告ブロックの発見、駅ホーム等で、タッチテクニックに比べると安全性が上がります。

 今回のお知らせは以上です。一つでも一ヶ所でも参考にしていただけましたら幸いです。お問い合わせは、センターの高島まで。

 

◎ 第9回 ホームの転落防止

ホームドアに代わる新システムの登場(2020年9月28日)

 今回はホームからの転落防止、ホームドアに代わる新システムについてご紹介します。

 皆様ご存じのようにホームドアは北陸新幹線ホームのホーム上にある転落防止柵と自動ドアのことです。これは私たち視覚障害者だけでなく、お年寄りや歩行が不安定な人などが線路に落ちないようにするもので、よほどのことがない限り、命の安全を保障してくれています。

 しかしながら、そもそも機材が高額であることに加え、ホームの耐久性を上げる工事など、設置には多額の費用と時間がかかります。また、停車する列車のドアの位置がまちまちで一般的なホームドアが設置できないホームもあります。

 そのため、国や各鉄道会社も「ホームドアの設置を進める」とはしながらも「乗降客10万人以上の駅」や「1か所でも設置してある駅は設置済みとみなす」などの文言も出てきており、「全駅設置」には程遠いのが現状です。今年3月末までの設置状況は全国9500駅中855駅で1割以下です。

 そんな状況の中、ホームドア以外の転落防止対策が生まれています。ホーム上のカメラの画像をAIが解析して白杖やホームの端に接近している人、うずくまっている人を検知して職員に警報を伝えるものです。このシステムはJR西日本や小田急電鉄などのいくつかの駅ですでに導入されており、実際に駅員が対象者に声をかけているとのことです。

 このシステムのメリットはホームドアに比べて圧倒的に費用が安く工期が短いため、導入しやすいことです。しかし、このシステムにも残念ながら欠点があります。当然のことですが、危険性のある対象者の存在を知らせても、駅員が到着するまでにはタイムラグが生じます。

 AIが「危ない!」と感じた数分後に駅員が駆けつけてくれるシステムで、転落の危険がなくなるわけではありません。つまり、このシステムは命の安全を高めるものではあっても、保障するものではないことになります。

 この他にも駅員による声掛けや乗降客による声掛けを促すなどして、各鉄道会社は私たち視覚障害者の安全性と利便性を高める取り組みを進めてくれています。

 白杖を持って歩いていると声をかけてもらえることが増えた気がします。特に首都圏ではそれがとても多くなった気がします。これに加えて同行援護も以前に比べて良くなっていて、視覚障害者を取り巻く交通の安全性は確実に前進していると思います。

 さて、長々と書いてきましたが、ここからが私の最も書きたいことになります。

 視覚障害者の交通の安全性が向上したことはとてもありがたいことですが、命にかかわることですから、あくまでも安全の「向上」の末の、安全の「保障」を目指していただきたい。「AIシステムが充実して安全性は向上してきたからホームドアは無理しなくても」という流れにはなってほしくない。日視連は今年も国土交通省に対しホームドア設置の陳情を行い、積極的な回答をいただいています。

 「安全は向上の末の保障」になっていただきたいものです。



《みんなの広場》
◆奥黒部の山々を縦走して

射水支部 塘添 誠次

 令和2年7月30日(木)から8月5日(水)の1週間の行程で奥黒部の山々を縦走した。登山のベテランで色々な山を知っている瀬戸さん、毎年剱岳を日帰りできる西本さん、山岳ガイドで歩荷(ぼっか)(100キロ以上の荷物を背負って物資を山小屋に運搬)もできるすごい体力の大嶋 航(おおしま こう)(通称コーちゃん)と私の4人のパーティーである。

 折立(おりたて)登山口から入山して太郎平小屋(たろうだいらごや)に宿泊。北ノ俣岳(きたのまただけ)から赤木岳(あかぎだけ)をトラバースして黒部五郎岳(くろべごろうだけ)、そして、三俣蓮華岳(みつまたれんげだけ)から鷲羽岳(わしばだけ)を経由し、水晶岳(すいしょうだけ)に登る。そこから祖父岳(じいだけ)を経て雲ノ平(くものだいら)に下り、更に薬師沢小屋(やくしざわごや)まで下る。そして、太郎平小屋に戻り折立登山口に帰ってくるコースである。

 実は、昨年の暮れにこの計画を立てたのだが、新型コロナウイルスが流行。この時期は山小屋が大変混雑する時期である。集団感染が起こりやすいことが予想された。

 長期間の登山なので荷物を極力少なくするために、着替えをしなくてもすむように臭いを吸収してくれる高価なウェアまで用意したのだが、感染の恐れがあるので今年はあきらめることにした。

 しかし、5月になって何となく県内のコロナ感染者がいなくなり、山小屋もコロナ対策をして運営するのではないかと思い、奥黒部縦走計画を再検討した。すると、7月から宿泊者を減らし、営業することが分かった。コロナ対策としては、寝袋の持参、山小屋に到着したら消毒薬持参で消毒し、マスク着用とのこと。

 7月に入ると日本各地で梅雨前線による豪雨災害が多発していた。登山開始日を7月29日(水)、下山日を8月4日(火)とし、予備日を2日間設けた。ところが、出発予定の29日は梅雨前線が停滞し、大雨の予報。30日から天気が回復しそうだったので、予備日を先に1日使って30日の出発となった。


▲1日目 7月30日(木)

 コーちゃんの迎えで瀬戸さんの家に向かう。魚津から来た西本さんと合流し、出発。雨が降っている。有峰のゲートに着くころには雨が上がってくれた。通行料1900円を払い折立登山口の駐車場に到着。100台以上とめられるそうだ。満車に近く殆どが県外ナンバーの車だ。

 今日は、折立登山口(1350m)から太郎平小屋(2326m)までの累積標高差+1010m、-42m、距離8.1km、コースタイム5時間である。

 先頭がコーちゃん、前(まえ)サポートの西本さんに続き私、そして後(うしろ)サポートが瀬戸さんで8時に出発。コーちゃんが皆の安全を確認しながらルート取りをする。西本さんがコーちゃんの歩いた後を進みながら「11時、1時」「高く上げて」「根っ子をまたいで」「とんとん、1歩行って登る」「頭を下げて」などと指示が出る。更に後ろの瀬戸さんが私の体の向きなどを見て同じ指示であったり、修正された指示が出る。私は右手にストックを突き、左手で西本さんのザックの後ろに付けてあるサポートロープを持つ。そして、ザックに左手の人差し指を当て、ザックの上下、左右の動きで高低や進行方向を感知しながら歩を進める。

 三角点(1869m)までは急な上りが続く。1時間ほど登ると少し雨が降ってきたが、しばらくすると止む。2、3度雨に遭う。樹林帯なので少し雨が当たる程度。かなり汗もかいてきていたので、カッパは着ないで登る。その雨が体を冷やしてくれて、どちらかというとカーテンシャワーのようで気持ちがよい。

 三角点に着くまでは大汗をかいていたが、それを過ぎると傾斜が緩やかになってきた。樹林帯からハイマツ地帯に入る2000メートルの所でゆっくりと昼食を摂る。十分に休息が取れたことと、山に慣れてきたのか、快適に歩を進める。幾つかの低いアップダウンを越え、木道に入る。すると、山小屋が見えてきたが、ぐるっと迂回するので、思ったより時間がかかる。そして14時10分、太郎平小屋に到着。折立からの歩数は19000歩。

 到着すると新型コロナ感染予防対策のため、早速手の消毒、マスクを着用。既に少し離れた所から他の登山客の話し声が聞こえる。宿泊の手続きをしている間、山小屋の前のベンチでザックをおろし休憩。

 コーちゃんは、薬師岳方面遭難対策協議会の救助隊員で、この山小屋を拠点に薬師岳や奥黒部界隈の山域の山岳遭難に備え、富山県警察山岳警備隊や山小屋と協力して様々な活動をしている。

 手続きが終了したので、ザックをかついで山小屋に入ろうとすると、なんと山小屋のご主人の五十嶋(いそじま)さんが親切にも既にザックを部屋に運んでくださっていた。五十嶋さんは60年以上この山小屋を守り、薬師岳方面遭難対策協議会の隊長をしておられる。視覚障害者が泊まるのは初めてのことだと私と記念写真を撮りたいとおっしゃられ、喜んで応じさせていただいた。実は9年前に薬師岳(2926m)に登る時に泊まりはしなかったが、休憩させていただいた。

 この時期は、山小屋が大変混雑し、1枚の布団に二人が寝るようなことは当たり前だったが、今回はコロナ対策で布団は一人に1枚、布団と布団の間が少し空いていて、私たち4人だけの部屋になっていた。

 5時の夕食まで時間があり、薄曇りで時々陽がさす天気だったので、外に出てビールで乾杯。時折ガスが晴れて、薬師岳の雄大な姿が見える。何ともさわやかで気持ちが良い。

 夕食は席の間隔を取り、他のグループと交わらないように間隔を空けての食事だった。

 山小屋の就寝は早い。明日は、今回の中で最も山行時間が長い行程である。天気になることを念じながら7時半ごろ就寝。


▲2日目 7月31日(金)

 気が高ぶっていたのか、うとうとする程度で眠りが浅い。雨が降り出しているのに気づく。午前2時ごろになると雨がひどくなり、3時半ごろから風が強くなった。今日だけは天気であってほしいのに。不安に思いながら4時前に起床。5時から朝食。

 今日は、北ノ俣岳(2661m)を経て、赤木岳(2622m)をトラバース(高度を上げずにアップダウンを繰り返し水平移動すること)し、黒部五郎岳(2840m)に登り、黒部五郎小舎(くろべごろうごや)(2345m)に至る累積標高差、+897m、-882m、コースタイム約7時間である。

 登山準備を終え、玄関を出てみると雨は降っていない。気温は14度。風速10メートルの予報だった。風速1メートルにつき体感温度は1度下がる。登山シャツ1枚では寒いかなと思ったが、風は弱く冷たくない。

 太郎平小屋を5時50分に出発。強風を心配しながら北ノ俣岳に向かう。だが予報に反して強風箇所はない。お花畑もあり、登りやすい山道を進み、8時過ぎに山頂に到着。ガスがかかっており視界は50メートル以下。山頂の標識、ケルン、ハイマツが目に入る程度で、周囲の山々の景色は見えない。小休止後下る。

 そして、赤木岳をトラバースする所に来た。しばらく進むとサポートロープとストックを離して四つん這いになり、岩に上ったり下りたり、狭い岩の間を通ったり、横は崖で道幅が狭く岩に掴まりながらカニの横ばいのように進まなければならない危険な箇所に来た。山頂直下20~30メートルの所を通過しているとのこと。

 ザックをかついだまま四つん這いでの移動が長くなると腰が痛くなってくる。そこで、安全な所までコーちゃんと西本さんに先行してもらい、そこにコーちゃんのザックを下ろし引き返してもらうことにした。その間、私と瀬戸さんは小休止。

 身軽で戻ってきたコーちゃんに私のザックを持ってもらい危険な岩場に入る。前後から「左手を伸ばした所に岩がある。それにつかまり10時、2時で上る。登ったらその石を右に巻いて右の岩につかまって真っすぐ進む」「今触っている岩に上る」「右の岩につかまってカニの横ばいのように歩く」などと指示が出る。慎重に時間をかけて難所を通過した。そして、ようやく西本さんのサポートロープに捕まって歩ける所まで来た。

 しばらく登っていると、雷鳥の鳴き声が聞こえてきた。2羽いて、2羽とも一冬を越した若いメスのようだ。瀬戸さんが「こっちへおいで、こっちへおいで」とやさしく声をかけると近づいてきたが、途中で直角に曲がり飛び去った。

 昼食休憩後、黒部五郎岳に向かって登る。ガレ場で浮石が多い。落石を起こさないように気を付けて歩を進めるのだが、何度か石を落としてしまい瀬戸さんに注意される。そして、黒部五郎の肩(2765m)に到着。山頂が間近に見えているが、既に午後1時半。ここから下りに要する時間を考えると4時までに黒部五郎小舎(2345m)に着けないのではないかと予想された。

 山小屋には午後3時までに入るのが基本で、どんなに遅くても5時まで(明るいうち)に入らなければならない。でないと遭難とみなされることがあるからだ。そこで黒部五郎岳登頂はあきらめ、黒部五郎小舎に向かうことにした。

 上りと同様下りもゴロゴロした石や浮石が多いガレ場を進み、沢に出た。川に落ちないように飛び石に乗って渡らなければならない。これは大変に緊張するし、体力を消耗する。瀬戸さんの指示に従い慎重に飛び石を踏みしめ対岸に到着。ほっと一息。

 その後、何か所か沢を渡ったが、わずかに水が流れているだけで、チャプチャプと入って渡れる所ばかりだった。

 そして、ダケカンバやナナカマドの樹木が生えている樹林帯に入った。この樹林帯は木の根や土と石が混じった山道ではなく、両足で跨げないような大きな岩が連続する所が延々と続く。ここはどちらかというと水平移動で標高をあまりかせげない。晴眼者は岩をピョンピョンと跳んだり、岩に上ったり下りたりしてさほど苦労せずに移動できるが、私はピョンピョンと跳ぶことができないので、その都度岩に上がったり下りたりして移動しなければならないので時間がかかるし大変疲れる。

 この樹林帯が長く午後4時を過ぎてもなかなか樹林帯を抜け出せず、黒部五郎小舎の到着時刻が5時を大きく過ぎることが予想された。そこで、コーちゃんに先に黒部五郎小舎に行ってもらうことにした。それで、コーちゃんが先に行ってくれたことで心の安心を得ることができ、頑張って樹林帯を抜けた。コーちゃんが黒部五郎小舎から戻って私たちを迎えに来た時には、私たちはもう黒部五郎小舎の近くまで来ており、4時50分に到着することができた。歩数は28000歩。

 約11時間の山行だったので、私の胃腸の調子が少し悪くなりかけていた。到着後、山小屋の方に熱いお茶をお願いし、瀬戸さん持参の万病に効くという熊胆(くまのい)を飲み、熱いお茶を頂くとかなり胃腸の調子がよくなった。たくさんの汗をかいているので、冷たい飲み物を欲するが、内臓は冷えているので、冷たいのではなく、逆に熱いお茶を飲んだほうが胃腸には良いと聞いていた。そこでそれを実行したのである。

 夕食は体が塩分を欲しているのか、味噌汁がおいしくお代わりさせていただいた。完食とはいかなかったが、8割ほどは食べられたので、かなり体力は回復した。

 2敗同士の直接対決となった朝乃山と照ノ富士の相撲の結果が気になっていたのだが、山小屋の人たちに聞いたが分からない。携帯も通じないので、あきらめて7時半ごろ就寝。


▲3日目 8月1日(土)

 今日は、三俣蓮華岳に登り三俣山荘までの累積標高差+504m、-305m、コースタイム約2時間半の比較的楽な行程である。ゆっくり寝ていてもよいのだが、朝食が4時なので、3時半に起床。

 山小屋は7時までに出ればよいのだが、朝食をすませ準備ができたので、早いけれども黒部五郎小舎を6時に出発。いきなり急な岩場の連続でサポートロープを離し、四つん這いになって上らないといけない所もあった。その時は、コーちゃんが私のザックを持ってくれた。40分ほど登ると傾斜が緩やかになり余裕をもっての登山となった。急ぐことはないのでゆっくりと高山植物を楽しむ。

 ここは、お花の宝庫で、黄色い小さな花びらを付けたハクサンイチゲ、背丈は5センチぐらいしかないが、草ではなく、れっきとした木で、白い花びらのチングルマ、背丈が30センチぐらいある橙色のクルマユリ、ユリのような大きな黄色の花びらのニッコウキスゲ、秋になると赤い実を付けるゴゼンタチバナなど、花に詳しい西本さんが説明しながら、私の手を取って花を触らせてくださる。アザミも生えている。

 所々で立ち止まりながら登り、山頂到着9時半。このまま進むと三俣山荘に午前中に着いてしまいそうなので、山頂でゆっくり休むことにした。雲は多いので近くの鷲羽岳や黒部五郎岳などの山しか見えないが、青空が広がっていて、さわやかで気持ちがいい。

 三俣蓮華岳は、長野県、岐阜県の飛騨、越中富山の三国の境にあり、この三俣蓮華岳を中心に北アルプスは大きく三つの山脈に分けられている。一つは、白馬(しろうま)連峰から針ノ木(はりのき)、烏帽子(えぼし)と連なる山稜。そして、立山、薬師を通る山稜。それに穂高(ほたか)から槍を経て通る山稜。この三つの接合点で文字通り北アルプスの心臓部である。

 携帯電話もようやく通じるようになったので、相撲の結果を妻に聞くと照ノ富士に朝乃山が負けたとのこと。残念!

 11時に三俣山荘に向かう。難所はなく、順調に歩を進め、12時半に到着。歩数は9000歩。

 三俣山荘は、三俣蓮華岳とその北に並ぶ鷲羽岳との鞍部(あんぶ)(山と山との中間の尾根のいちばん低い部分)にある。伊藤正一(いとう しょういち)著『定本 黒部の山賊』(山と渓谷社)の舞台になった所である。

 この山荘は、雲ノ平山荘と共に北アルプスで最も奥にある山荘で、黒部源流への出入り口に当たっている。

 部屋にザックを置き、外に出る。天気は晴れだが時々雲がかかる。ベンチでビール(500ml・800円)を飲んでいると、山荘への物資運搬のためのヘリコプターが飛んできてホバリングをし、着陸することなく投下して行く。その荷物を小学2年生の女の子とその兄が一輪車などを使って片づけを手伝っている。何ともほほえましい光景である。私たちが外にいる間だけでもヘリコプターは5回も飛んできた。子供たちに聞くと、高瀬ダム登山口から野口五郎岳に登り、鷲羽岳を経由して二日がかりでこの山小屋に来たとのこと。

 夕食はアルファ米で水とカレーのルーが渡され、自分たちでお湯を沸かし、15分間蒸らしてカレーのルーを入れ、かき混ぜて皿に移して食べる。サラダが付いている。


▲4日目 8月2日(日)

 今日は、鷲羽岳(2924m)を経て、水晶小屋(2904m)まで登り、時間と体調をみて水晶岳(2986m)に登る累積標高差+611m、-608m、コースタイム4時間半である。

 4時前に起床。5時から朝食だが、昨日の夕食と同じくアルファ米で自分たちでお湯を沸かして米を蒸らすので時間がかかる。米がパサパサしていておかずだけでは喉を通りにくいので、味噌汁で流し込む。胃腸の調子はほぼ回復しており、完食できた。

 三俣山荘を6時15分に出発し、鷲羽岳(2924m)に向かう。この山は、黒部川の源流で、源流地帯を抜け出した黒部川の水は黒部ダムを通り日本海にそそいでいる。

 さほど難所のない、私にとっては登りやすい山だ。胸から背中にかけて星の様な斑点模様があるホシガラスが飛んでいる。快調に歩を進め、8時に山頂到着。晴れ渡る青空にうっすらと高層雲がかかる素晴らしい展望で、北には後立山連峰の峰々が白馬岳方面まで見え、北西に薬師岳、西に黒部五郎岳、南に笠ヶ岳や乗鞍岳、南東には槍ヶ岳、穂高連峰、常念岳が見渡せる。

 再び携帯電話が通じるようになった。昨日の相撲の結果を聞くと朝乃山も照ノ富士も負けて優勝は千秋楽にもつれ込んだとのこと。

 小休止後、一旦下りワリモ岳をトラバース。徐々に険しくなる。そして、赤木岳を上回るような難所に来たので、コーちゃんにザックを持ってもらい、西本さんには先に行ってもらう。

 道幅20センチほどで左側は断崖絶壁の危険な箇所があり、瀬戸さんの指示に従い慎重に、気持ちを集中し一歩ずつ確実に進む。

 そしてようやく難所を通過し、西本さんのサポートロープに捕まる。その後はお花畑を眺めながら、ワリモ北分岐から水晶小屋に向かう。明日は、ここまで戻り祖父岳に向かうことになる。

 ゴロゴロした石を進み、上りに入る。緩やかな傾斜の後、急な上りとなり水晶小屋(2904m)に11時に到着。思ったより早く着いた。体調も良いので、これなら今日のうちに水晶岳に登れる。ここから眼下に黒四ダムが見下ろせるとのこと。

 昼食休憩を十分にとり、12時30分にザックを預け水晶岳(2986m)に向かう。だが、私はサポートロープを使いたいので、前サポートの西本さんには申し訳ないがザックをかついでもらうことにした。しかし、軽くするためにザックの中の荷物を全部出してしまうと、ザックの厚みがなくなる。すると、西本さんに近づきすぎて私の踏み出す足が西本さんの足にぶつかる。そこで、極力ザックの荷物を減らし、厚みをつけるために寝袋を入れ、ゴミ袋を膨らませてかついでもらうことにした。

 30分ほど過ぎ、山頂に近づくにつれ険しくなった。狭い岩場の連続で、横は断崖絶壁、道幅が20センチの所もある。ザックから手を放し、岩につかまって登ったり、カニの横ばいのようにして進む。遠くからこの山を見るとツクツクとした水晶の結晶のように見えるとのこと。幸いなことにこの時刻に他の登山客が少なく、せかされることなく登れたことが良かった。山頂到着13時40分。富山市最高峰の山の山頂に立った!

 狭い山頂で記念写真を撮り、小休止の後、下山。狭い岩場の下りをどう下りるか。ここで前サポートを瀬戸さんに交代。ザックをかついでいない瀬戸さんの左肩に軽く触りながら瀬戸さんの指示に従いゆっくりと歩を進める。登山道の幅20センチ、右側が200~300メートルの断崖絶壁の所も通る。バランスをくずしたり、つまずくと右下の谷底に落ちてしまう。

 後ろでそれを見ていたコーちゃんは胃がきりきりと痛んだそうだ。私は神経を集中させるのに真剣で、怖いと思ったことはない。約30分かけて無事に通過。ようやくサポートロープに捕まりストックがつける所まで来て、前サポートを再び西本さんに交代。そして、無事水晶小屋に15時に戻って来れた。歩数は18000歩。

 夕食は三俣山荘と同じアルファ米。カレーの代わりに鹿の肉を使ったジビエ料理(鹿や猪などの害獣の肉を使った料理)。なかなかおいしかった。


▲5日目 8月3日(月)

 今日は、祖父岳(2825m)に登り返し、雲ノ平山荘(2550m)を経て薬師沢小屋(1912m)までの標高差+231m、-1208m、コースタイム5時間15分の行程である。下りは登り以上に時間がかかることがあるので10時間以上はかかると予想された。

 水晶小屋を6時10分に出発。天気は良好。ワリモ北分岐まで戻り、祖父岳(2825m)に向かう。登りやすい登山道で山頂到着8時45分。携帯電話が通じるようになったので、相撲の結果を聞くと朝乃山は勝ったが、照ノ富士も勝ったので照ノ富士が優勝したとのこと。優勝決定戦にならず残念だったが、ケガから立ち直ってよく優勝したものだと照ノ富士の努力を賞賛したい。

 小休止後下山開始。下りやすい登山道で、順調に歩を進め、雲ノ平山荘(2550m)の手前800メートルの雲ノ平キャンプ場・スイス庭園(2590m)を横切り、雲ノ平山荘に11時20分到着。ここは、約4キロ四方の高原が広々と展開している。少し早い昼食を摂り、11時55分出発。

 ここからの下りは難所が予想されたのと、連日の前サポートの西本さんの疲労を考え、前サポートを瀬戸さんに交代。最初の1時間は木道で、アラスカ庭園を通り木道末端へ向かう。木道は、左右へ移動したり段差があったり、一部壊れている所があり、狭くなっている所を進む。

 木道が終わると傾斜は緩やかで、どちらかといえば水平移動に近い、大きな石の岩稜帯となった。大変歩きにくい。20分ぐらいかけてようやく抜けると、瀬戸さんのサポートロープに捕まっての下山ができない所に来た。

 大変傾斜がきつく、大きな岩の連続で、前向きでは下りれない。そこで、後ろ向きの四つん這いになって下る。コーちゃんがザックを持ってくれた。瀬戸さんが先に下り、その後瀬戸さんと上にいる西本さんの指示に従い足の置き場を探し下っていく。稀に前向きになり瀬戸さんのサポートロープに捕まって歩ける所もあったが、数メートル進むと再び後ろ向きにならなければならない。何と延々と2時間半後ろ向きで下りた。コーちゃんも下りにくいのに私のザックまで持っての下山は大変だっただろう。だが、コーちゃんの助けがなければ私は途中でギブアップしていたと思う。

 4時過ぎにようやく瀬戸さんのサポートロープを持って歩ける所に来た。しかし、今回も山小屋に午後5時までに着きそうもないように思われた。そこでコーちゃんに先行して山小屋に連絡してもらうことにした。これで安心して歩を進める。すると、コーちゃんが戻って来た。もう山小屋まですぐの所まで来ていた。川の流れの音が大きくなる。

 山小屋に近づくにつれ、梯子の箇所が現れ(5、6箇所)、最後の鉄の垂直の梯子20段を下りた。川の向かいに山小屋がある。

 ここからは川沿いに飛び石を越えて行き吊り橋を渡るルートと、水かさが増した時に岩場を通るルートがある。私は飛び石を越えて行くのは苦手なので、後者を選んだ。

 道幅が20~30センチで、真下を黒部川が大きな音を立てて流れている岩場をカニの横ばいで進む。そして、10段ほどの鉄の梯子を上り吊り橋に乗る。両側にはロープの手すりが張られているが、ぶらぶらで支えにはならない。足元は幅約20センチの薄い鉄板でできた吊り橋である。前の西本さんと後ろの瀬戸さんが互いのストックを手渡しにし、2本のストックで左右から私をサンドイッチのように挟んで、私がバランスを崩さないように安全を確保してくれた。そして、そろそろと慎重に吊り橋を渡り、最後の梯子を下り、無事に5時に薬師沢小屋に到着できた。

 ここは水が豊富で、山小屋の前には出しっぱなしの水が出ている。蛇口には「閉めないでください」と書いてある。早速、顔と髪の毛を洗う。水はかじかむほど冷たく、すっきり!

 山小屋は黒部川と薬師沢が合流する所にあり、川の流れの音がすごい。色々な鳥のさえずりも聞こえる。心が洗われるような気持になり、何とも言えず心がいやされる。

 胃腸の調子は悪くないが、用心のため熱いお茶を3杯も頂き、生き返った。6時の夕食まで川の流れの音を聞いていたかったので、山小屋に入らずベンチにたたずんでいた。

 夕食時間になったので山小屋に入ると、廊下の両側の壁面が平行でなく、斜めになっており、床も波打っていた。雪の重みでこのようになるとのこと。よくつぶれずに山小屋が建っているものだ。

 夕食は久しぶりに普通の食事になった。体調も良い。1日の行程を振り返り、皆さんのサポートに感謝しながらアルコールも適度に入り、おいしく頂いた。


▲6日目 8月4日(火)

 今日は太郎平小屋までなので時間に余裕がある。朝食後、黒部川の川岸まで下りて行けるというので、つっかけで下りて行った。石がゴロゴロしており、登山靴を履いていないので不安だったが、ゆっくりと指示に従い下りて行けた。そして、川の水に手を浸すと、かなり冷たかった! こういう体験はこれまでにもあるが、こんなに山深い川の、それも激しく流れる川岸に下りての体験は心に残る思い出となった。

 薬師沢小屋を7時に出発。長い木道が続く。雨が降っていると滑って危ないとのこと。入山前にこの木道で転倒し骨折したというニュースも聞いていた。幸いなことに天気は良く木道は乾いており、滑る心配はないが所々木道が傷んでおり、細い板の上を一直線上に歩かなければならない。

 薬師沢と黒部とが落ち合う所で、河童が住むと言うカベッケヶ原を歩く。幾つもの沢があり、木道から下りて水の殆ど流れていない沢を越えたり、川になって流れている上に橋のようにかかっている木道を歩く。

 瀬戸さんが木道の脇にブルーベリーがなっているのに気付き、採ってくださった。甘酸っぱい味が元気を与えてくれる。瀬戸さんは、反対側から来る登山客にもブルーベリーの実をあげ、喜ばれていた。後ろを振り向くと、すれ違った人がブルーベリーの実を見つけて採っているとのこと。

 時間に余裕があるので、ベンチのある所でコーヒータイムなどを取り、ゆっくり休憩する。ウグイスの鳴き声が気持ちをいやしてくれる。

 途中でストックの先ゴムが擦り減って穴が空いているのに気づいた。瀬戸さんが予備に持っていた先ゴムを付けてくださった。瀬戸さんは眼が良く、いろんな物を見つける。サポートをしながらストックの先ゴムを幾つも拾っているのだ。

 木道が終わると急坂となった。気温が高く、意外と疲れた。息が上がり、大汗をかいている。もう少しで太郎平小屋に向かう木道という所に来ると、イワヒバリが道案内をしてくれる。少し気持ちがほぐれる。そして木道に乗り、12時半に再び太郎平小屋に戻って来た。五十嶋さんが出迎えてくださった。水晶岳まで登ってきたことに感心し、よく頑張ったとほほえんでくださった。

 2日前に水晶小屋でコーちゃんがSNSを見ていたところ、太郎平小屋に生ビールが届いたことが分かっていたので、早速生ビールで乾杯し、おいしいラーメンも頂いた。

 ゆっくり昼食を摂った後、近くに見えている太郎山(2360m)に行くことにした。木道を歩き、山頂前で普通の登山道になり、いつのまにか山頂に到着していた。なだらかで、どこが山頂か実感がわかなかった。

 山小屋に戻るとNHKテレビが山小屋のコロナ対策を取材するために登って来ているとのこと。

 5時からの食事を終え、食堂で団欒を楽しんでいると6時からの食事の人たちが数人入ってきた。NHKテレビの人たちらしい。彼らが夕食を終える頃を見計らって声をかけた。自己紹介をし、目が見えなくても奥黒部の山々を縦走してきたことを話し、「もしニュース性があれば取材してほしい」とあつかましく申し出た。五十嶋さんも同席しておられ、私のことを後押ししてくださった。名刺を頂き、私の携帯電話の番号を聞かれたのでお伝えしたが、「話を聞きたい」と連絡があったのは9月の末だった。


▲7日目 8月5日(水)

 いつもどおり、4時に起床。これで6泊したことになるが、今回の山小屋での寝具は新型コロナウイルス感染対策として、寝袋持参であった。山小屋の夜は冷えるので、寝袋だけで大丈夫かなと不安に思っていた。しかし、案ずることはなかった。

 黒部五郎小舎では、紙製の枕カバーと毛布と布団に紙製の襟カバーがかけられており、「カバーを外さないように寝てほしい」。他の山小屋は、黒部五郎小舎と同様の寝具は用意されているが、寝袋に入り、「毛布や布団に直接肌が触れないように寝てほしい」ということだった。

 今日は、初日に登って来たルートを下ることになる。玄関で出発準備をしていると、五十嶋さんがどこと連絡を取り合っているのか分からないが、「昨日、薬師沢で滑落3人、転倒2人」と言う声が聞こえてきた。

 太郎平小屋を6時10分に出発。木道が終わり、しばらく進むとカモシカの足跡を発見。立ち止まり、触ってみる。幅3センチ、長さ7センチぐらいの大きさで、爪先が2つに分かれている。形はどちらかと言えばタラコの一腹に似ているとのこと。

 ゆっくりと道草をしながら進む。山小屋を出る時、左太股の前面中央部に少し筋肉痛を感じていたのだが、三角点の手前辺りから両方の太股前面中央部の筋肉痛を感じるようになった。これから下りが急になるので、脚がもつのだろうかと不安になった。幸いにも初日、太郎平小屋に着いた時に瀬戸さんが足底(そくてい)が疲れないようにとテーピングをしてくださった。そのおかげか、これだけ登山をしても足の裏の疲れは全く感じなかった。

 この下りでは多くの登山客に会った。登山中、色々な登山客とすれ違ったが、その中で、ストックの先にゴム製のキャップを付けていない登山客が多く、瀬戸さんやコーちゃんが注意をしていた。

 ストックの先が登山道にささり、そこに雨水が入り、浸食が始まり、登山道がくずれる原因になるからだ。登山道が崩れると多くの植物が自生できなくなり、土砂崩れの原因になる。ひいては麓の住人に大きな被害をもたらすことにもなる。

 また、岩場ではスリップし、転倒、滑落の原因にもなるし、最近では転倒した拍子に自分の体に刺さり、大けがをしている人もいるとのこと。

 また、山を走っている人たちがいる。トレイルランニングというらしいが、すごい体力の持ち主だ。危険な箇所がいくらでもあるが、どのくらいのスピードで走っているのだろうか。ケガをしないだろうかと、想像するだけで鳥肌が立つ。

 三角点ベンチで休憩していると、左頬に違和感を感じた。触ってみると、ぷくっと小さな膨らんだものがある。何だろうと触れていると、ぷちっとつぶれ、汁が出てくる。唇も脹れている。痛くもかゆくもない。下山中、左側から陽の光が当たり続けていたことによる日焼けであった。よく調べてみると左の首筋にも水泡ができていた。半袖で下山していた瀬戸さんの左腕を触ると、幾つもの水泡ができていた。

 下るほどに太股の筋肉痛は増していったが、膝がガクつくことはなく、何とか登山口まで脚がもってくれた。そして、折立登山口12時到着。無事に下山できたことを皆で喜び合う。

 実は、この縦走計画が成功するには天気に恵まれることは言うまでもないが、今回の場合、コロナの感染の関係があった。4人のうち一人でも感染してはいけないし、感染していなくても周囲の人に感染者が出て、その接触者となった時に移動を制限させられることだ。また、登山中にそれが分かり、途中でも下山を余儀なくさせられる可能性があったことだ。幸いにも天気に恵まれ、コロナの感染トラブルもなかったのは幸運なことであった。

 1週間を振り返ると、登山中のみならず、山小屋に着いたら山小屋内で3人には、手引きや食事の介助、その他細かなことにお世話になった。3人には気の休まる時がなかったのではないかと思う。70歳の私にとっては、古希の思い出に残る記念登山となった。

 西本さん、瀬戸さん、コーちゃん、ありがとう!



◆青年部の紹介

青年部部長 濱野 昌幸

 2020年度より青年部長になりました濱野昌幸です。今回は新しく青年部長になりましたので、自身と青年部の紹介をさせていただきます。

 私は旧新湊市生まれの44歳、現在は富山市在住です。かなり強度の弱視で近所のデイケアで理学療法士の仕事をしています。趣味はパチンコ、特技はパチスロで生計の補助エンジンにしています。また、最近では録音図書のライトノベルを読みあさっているヲタクです。

 視覚障害者の世界では日本視覚障害者団体連合(旧日盲連)の参与・スポーツ協議会長・青年協議会全国委員、富山県視覚障害者協会の業務執行理事・更生部長などの肩書をいただいています。肩書は立派なのですが、いまだに若輩者で、先輩に引っ張ってもらって、後輩に支えてもらって、やっとこさっとここなしているのが実情です。ですから、自分の能力不足だけはしっかりと自覚できています。

 次に青年部の紹介です。以前の青年部は一時活動休止状態でした。そんな中、15年くらい前から当時のグランドソフトボール部を中心に「人が集まって遊ぶこと」から再度の活動が始まりました。スポーツや飲み会もたくさんしましたし、海外旅行や国内旅行にも行きました。

 その頃やっていたボウリング大会のトロフィーは誰かの家の押し入れに眠っているはずですし、みんなで行ったオーストラリアの写真は今でも我が家の宝物です。

 はじめの数年は遊んでばかりいた青年部ですが、徐々に軌道に乗り遊び以外のこともできるようになりました。この頃から全国の青年協議会に役員を送り、大会で全国の知り合いが増えてきました。

 その影響で「やるべきこと」や「やったほうがいいこと」がわかってきました。そこで社会勉強と職業勉強をはじめました。社会勉強としては毎年、各省庁や公共機関などに陳情する議題を考えています。議題を考えるには視覚障害者が抱える問題を掘り下げて考える必要があり、今までなんとなく受け入れていた制度やサービスを改めて考え直すことができています。

 また、職業勉強としてはマッサージの講習会を開いています。他県からベテラン講師を招いたり、他業種の方を講師として手技を集中して学んだりしています。実はこの講習会の参加者が多くて、遊びの企画よりもニーズが高いことがわかりました。

 そうやって細々ながら順調にやってきた青年部ですが、現在、いくつかの大きな問題に直面しています。

 問題の一つ目、高齢化。

 現在の青年部の主力は40代半ばから50代前半。残念ながら、もはや青年ではありません。楽しく、仲良くやってきた青年部ですが、そうすると世代が偏りがちになります。気が付けばオッサンだらけです。ならば、若い人が入ってきてくれればいいのですが…

 問題の二つ目、新人不足。

 新人がなかなか入ってきてくれません。と言うよりも該当する人がなかなかいません。「盲学校の卒業生が」という時代は終わりました。最近はインクルーシブ教育(統合教育)やその先の一般企業への就職が盛んになり、若い視覚障害者がどこで何をしているのかがつかめません。また、若い人には個人を大切にする考え方が強く、群れることを嫌います。よって、青年部に勧誘しようにも勧誘する相手が見つからず、たまたま見つかってもなかなかつながりが持てない状況にあります。

 世の中の視覚障害者人口は減少し、平均年齢も高齢化し、少子化・ゆとり教育で群れることを嫌う若者が増える中で、この現状は仕方のないことではあります。しかしながら、青年部の後継者不足は協会の後継者不足につながり、視覚障害者の力不足につながります。

 政府や地方公共団体、交通機関やメディアを含めた企業に何かお願いをするにしても、まず、はじめに問題視されるのは内容ではなく組織の人数です。私も数回参加しましたが、「全国、数万人の視覚障害者の声」として日視連(日盲連)は毎年シビアな陳情行動を行っています。その意味で組織の人数はとても大事なことです。

 さて、青年部の話に戻りますが、「困った、困った」と言っているだけでは何も変わらないので、いくつかの取り組みをはじめました。まずはホームページとメーリングリストを一新しました。情報量を増やすことを一番の目標にホームページは更新を容易にして、リンクを充実しました。メーリングリストは視覚障害者関連情報を私から頻繁に発信しています。

 ホームページURL

  http://toyama-blind-younger.simdif.com

 メーリングリスト申込先

  toyama.blind.younger@gmail.com

 

 また、ホームページとメーリングリストをツールとして視覚総合支援学校(盲学校)だけでなく、探索範囲を広げていこうと考えています。さらに、関連団体にも働きかけ、まずは「つながりをつくる」を目標にしていくつもりです。皆さんの周りにも若い視覚障害の方がいらっしゃいましたらお声掛けいただければ助かります。

 2020年度より新体制になり、部長は濱野昌幸、副部長は柳井勇二(やない ゆうじ)さんと小林徹蔵(こばやし てつぞう)さんです。3人そろってオッサンですが、知恵を出し合って進めていこうと思います。皆さんの応援、よろしくお願いいたします。



◆サウンドテーブルテニスの魅力

富山支部 中西 美雄(なかにし よしお)

 皆さんこんにちは。富山県視覚障害者協会サウンドテーブルテニスクラブの雑用係をしております中西です。今回は、サウンドテーブルテニス(以下STTといいます)の魅力と現在置かれていますクラブの現状についてお話させていただきます。「私の思いが十分伝わりますように」を込めて書くことにします。

 御存じの方も多いとは思いますが、STTは長さ274センチ、幅152センチの長方形の中で、40ミリの普通の卓球のボールに4個の鉛の粒を入れ、転がしたときに音が出るようになっているボールを使用します。

 ネットは中央に張られ、卓球台から42ミリの高さにセットします。もう一つ特徴的な点は、プレーヤー側に15ミリの高さのフェンスが「コ」の字型に取り付けられています。

 STTという名前は、それまで盲人卓球と言われていた同種のゲームを2001年から、それまで地域によってバラバラであったルールを統一し、全国共通のルールの下で各種大会を開催しようとの思いから抜本的にルールの統一がなされたものです。

 さて、この競技の中で最も痛快なのは、打ち出したサーブが相手コートにきちんと決まることです。それがスピードボールであれば思わず頬が緩んだり「やったー」と声を発したりします。また、同じようなことですが、変化球サーブが相手の予想外のところで決まったときも同様の感想を得ることができます。逆に、それらのサーブを的確に返されセーフと判定された時のショックも大きいものです。

 また、STTのSにはサウンドの頭文字のSがあるように、打球音を重視しています。サーブやリターンの時にタイミングが外れて打球音が小さかったり、全くなかったりすると失点になります。きれいな打球音を出しながらスピードサーブを打ち出す方法やリターンを返す方法など結構深い技術的探究も必要です。

 また、スローボールで相手の失点を誘った時も優越感を得ることができます。スローボールだから打ち返しやすいだろうと思うのですが、それがなかなか難しいものでリターンの方法によってはネットに引っかかってしまいます。

 次に本クラブの内情ですが、現在部員は24名です。この競技は三つの種目からなっています。STT-A男子(アイマスクあり)、STT-A女子(アイマスクあり)、STT-B男女混合(アイマスクなし)の三つです。

 STT-A(アイマスクあり)のほうは男女とも部員は満たされていますがSTT-B(アイマスクなし)のほうは部員が不足していて対外試合にも影響を与えかねない状態になっています。

 このような状態を改善し、強い富山県チームを取り戻すためにも、運動不足を解消し個人の健康保持のためにも、一肌脱いでいただき応援していただきたく投稿しました。

 最初のころは「なんちゅう心気臭いゲームよ」と、私も思っていましたが、それがいつの間にかボールコントロールやラケット捌きに注意を注ぐようになっていました。とっかかりは心気臭くても、だんだんと楽しさが増し、熱中するようになります。

 一度遊びに来てラケットを握ってみてください。そして、視覚障害者のスポーツに触れてみてください。お待ちしています。



《事務局から》
◎テレホンサービスのご紹介! テレホンサービスでは以下のように内容を一部新しくしてお知らせしています。
・行事・教室の案内 ・協会理事からの情報コーナー
  電話 076-421-1010
◆消息 訃報

 野田 浩次(のだ こうじ)氏(南砺市)   6月 逝去

 中市 良子(なかいち よしこ)氏(射水市) 9月 逝去

  ご冥福をお祈りいたします。



◆時事暦(4月~9月)

4月12日(日) 富山湾岸サイクリング2020(湾岸サイクリングロード) → 中止

4月19日(日) 第20回富山県障害者スポーツ大会〔水泳競技〕(東富山温水プール) → 中止

5月21日(木) 理事会

5月24日(日) 第20回富山県障害者スポーツ大会〔陸上競技〕(県総合運動公園) → 中止

5月28日(木) 令和2年度点訳・音訳ボランティア養成講習会開講式 点訳0名 音訳4名

5月30日(土)・31日(日) 第47回北信越グランドソフトボール大会(富山県) → 中止

6月6日(土) 出会いと語らいの集い → 中止

6月7日(日) 定時評議員会(センター)

6月7日(日) 定期会員総会(センター) → 中止

6月14日(日)~16日(火) 第73回全国視覚障害者福祉大会(宮城県) → 中止

6月末  会報「ゆきしろ」第81号発刊

7月5日(日) ボランティアと利用者交流会(富山県視覚障害者福祉センター) 会員4名 ボランティア8名

7月19日(日) センタークリーン作戦 → 中止

8月23日(日) 第69回点字競技会・第21回パソコン競技会 点字競技13名・パソコン競技(携帯電話含む)8名

8月29日(土)・30日(日) 宿泊研修〔視覚障害者と家族激励大会・歩行訓練・研修会〕(魚津市) → 中止

9月17日(木)~19日(土) 第66回全国視覚障害女性研修大会(神戸市) → 中止

9月19日(土) 出会いと語らいの集い(富山市) → 中止

9月20日(日) 第20回富山県障害者スポーツ大会〔フライングディスク競技〕(県総合運動公園) → 中止

9月26日(土)・27日(日) 第66回全国視覚障害青年研修大会(広島市) → 中止

9月27日(日) 令和2年度富山県視覚障害者球技大会〔第37回グランドソフトボール大会・第46回サウンドテーブルテニス大会〕(西田地方小学校・センター) 30名



◆令和2年度後期の主な行事予定

10月4日(日) 第44回視覚障害者文化祭・福祉機器展(センター)

10月24日(土)~26日(月) 第20回全国障害者スポーツ大会(鹿児島県)

10月31日(土)・11月1日(日) 第29回北信越サウンドテーブルテニス大会(新潟県)

11月8日(日) 三療研修会(センター)

11月8日(日) 第20回富山県障害者スポーツ大会〔卓球競技〕(県総合体育センター)

12月3日(木)~9日(水) 障害者週間

12月6日(日) 更生相談会・結婚相談室・意見交換会(センター)

12月10日(木) 理事会(センター)

12月12日(土)・13日(日) 北信越ブロック大会(福井県)

12月末  会報「ゆきしろ」第82号発刊

― 令和3年 ―

3月18日(木) 理事会(センター)

3月28日(日) 合同会議(センター)



《編集後記》

文化部部長 柳田 信子

 今年は、新型コロナウイルスが猛威をふるっていました。その為、センターの行事の延期や中止となったりして、皆さんに迷惑をおかけしました。

 6月からはセンターも通常通り使用できるようになり、部会も出来るようになりました。新型コロナウイルスがまだまだ終息の見通しがたちません。くれぐれも十分に注意されながら、お過ごしください。





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