会報 ゆきしろ 59号(平成21年4月発行)



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     第59号
(発行者)
 社会福祉法人 富山県視覚障害者協会
 〒930-0077
  富山市磯部町3丁目8番8号
 電話 (076)425-6761
  Fax (076)425-9087
 Eメール bcb05647@nifty.com
(発行責任者)
 会長  二口 信幸


 上の題字は 鶴木大壽 氏によるものです。

【ゆきしろ(雪代)の意味】



 雪国にあって、大地が春の雪原と接する部分で静かに融けはじめ、しずくとなり、やがてかすかな流れをつくり、それが集まって春のはじめの雪どけ水となって音をたてて大河に注ぐ様を、古くから俳句における春の季語として「雪代(ゆきしろ)」とよばれています。
 当協会が、このしずくが集まって大河をつくるように大きく発展していくよう、願いを込めて命名いたしました。


【会報 ゆきしろ59号 目次】

《巻頭言》 格差をなくしたい障害者福祉
ボランティアと利用者交流会を終えて
平成20年度宿泊研修(家族激励大会・山岳歩行訓練)
第32回 文化祭と福祉機器展をおえて
平成20年度 第57回点字競技会・第9回パソコン競技会の報告
更生相談会報告
田島名誉会長 米寿を祝う会
「鍼灸と出会い」と題し  三療研修会
第54回全国盲女性研修大会(愛媛県大会)に参加して
第54回全国盲青年研修大会 岡山大会
第17回北信越サウンドテーブルテニス大会報告
剱岳の登頂に成功して
『ボランティアと利用者交流会』に参加して
ボランティアと利用者交流会(解説付き映画を鑑賞して)
ボランティアと利用者交流会の感想
川柳 鍛歩歩(タンポポ)川柳会より
《事務局から》 消息 訃報 受賞
時事暦(7月~12月)
平成21年度主な行事予定
編集後記

◆《巻頭言》 格差をなくしたい障害者福祉 
                       会長  二口 信幸
 平成20年度に計画いたしました協会の事業も、滞りなく終了することができました。特筆すべき新しい事業はありませんが、それぞれの計画の中で、関心の持てる内容に変更して行われたことが、良かったことと思います。
 中でも、『更生相談会』事業の中で、『裁判員制度』の問題を取り上げ、出席された皆様のいくらかの参考になったことと思います。また、いつも懇親会を行っていました午後の部では、田島豊秋名誉会長の「米寿」の祝いをしましょう、ということで、おめでたい祝賀会(祝う会)に変更し、多数の会員の皆様と思い出やらエピソードなどが話され、田島名誉会長も楽しそうにお喜びの様子でした。これからもますますお元気で、協会の『傘』になって長生きしていただきたいと思います。
 さて、平成21年度は、『障害者基本法』や『障害者自立支援法』の見直しされる年です。どのように見直されるかは、通常国会が終わらなければはっきりとは分かりません。平成20年の約1年をかけて何回も障害者団体と厚生労働省担当者とが会合を開いてきた、その改正される箇所が示されるものと思います。主なところは移動支援の位置づけ、代筆代読の業務担当、費用負担の軽減、障害程度区分の適正化、就業と所得保障について、そして、障害者権利条約の批准等です。いずれにしてもすべてが不安定なまま21年を迎えました。
 平成21年は6点点字を考案したルイ・ブライユ生誕200年にあたり、また、石川倉治によって日本点字が翻案されて120年という年にあたります。これを記念して日盲連が、点字普及のための行事を計画しております。その中のひとつとして、『点字競技会(盲学校生徒も含む)』が開催されます。開催日時は平成21年10月31日(土)と11月1日(日)にかけての予定です。
 また、2011年に地上デジタル放送に移行されます。視覚障害者(市町村民税非課税)の人にはチューナーの無償取り付けを国の費用で行ってくれます。また、NHK視聴料が重度障害者の世帯には無料となっております。いずれもお近くの福祉担当課へお申し込み願います。手続きの際は手帳が必要です。
 以上、多岐にわたって述べましたが、今年も協会事業に積極的にご参加くださるようお願いいたします。

                     ◆ボランティアと利用者交流会を終えて
───  映画鑑賞会と総曲輪フェリオ近辺散策───
                        施設部 布尾 英二
 平成20年度のボランティアと利用者交流会は、平成20年7月6日(日)に106名が集い、午前は県民会館401号室で映画「雨あがる」を鑑賞し、午後からは、総曲輪通りのフェリオ近辺を散策した。
(1)開会式
 開会式は、午前10時から上坂敏彦施設部長の司会で始まり、二口信幸会長より「映画鑑賞会は、初めての試みであり、音声解説付きの映画に期待している」と挨拶があり、上坂部長より今回の企画の経緯についての説明があった。
(2)音声解説付き映画「雨あがる」の鑑賞
 映画「雨あがる」は、山本周五郎原作「おごそかな乾き」の短編で、小泉尭史監督、寺尾聰・宮崎美子ほかの出演による音声解説付き作品であった。

 話は、剣の達人である人の良い浪人武士とその妻。そして大雨で川を渡れない庶民の宿場の様子が織りなす人情味あふれる作品であった。映画や登場人物について音声解説があり、視覚障害者にも充分楽しめるものであり、初めての方にも感動を与えた。
 なお、本作品は、1999年のヴェネチア映画祭「緑の獅子賞」、2000年日本アカデミー賞作品賞、脚本賞など8部門に受賞している。
(3)映画鑑賞後の意見交換
 映画鑑賞後、全員で音声解説付映画について、意見交換を行った。司会は、上坂施設部長が担当し、記録は、ひまわりの会代表の四宮一子さんにお願いした。
〈利用者さんからの意見〉
①非常によかった。が、一部だが解説があまり多過ぎてうるさく感じるところもあった。台詞のない間の解説は必要である。
②「雨あがる」を事前にパソコンで検索して聴いたが、一部解説が多かったかもしれないが感動した。とても良かった。
③40年振りに映画を鑑賞した。時代劇は初めてで、ぐぐっと胸に来た。またこういう機会を作ってほしい。
④学生時代によく映画を鑑賞した。今日は、すごく感動した。見えないことが残念だ。
⑤ちょっと解説がうるさい。想像力を大切にしてもよい。特に宴会場面などで。
〈ボランティアさんからの意見〉
①私たちの介添えさせて貰う時の状況説明の仕方、音声の出し方などに参考になり勉強になった。
②今回は良い企画であり、勉強になった。音声解説付きのDVDをどのようにして作っているのか?利用者さんと一緒に作ったらよいのではないか。
〈利用者さんからの意見〉
①想像力という声も出たが、解説が多すぎるとは思わない。原作者の意図が分かって良かった。
②先天盲なので、主人公の刀の所作が分からないので説明があってよかった。情景描写は、作品を正しく知るために必要だが、音訳者のささやくような語り口は聞き取りにくい。

 意見は、たくさん出されたが、作品の技術面については、制作者の今後の検討課題としていただくこととし、今回の音声解説付映画鑑賞会は、視覚障害者にも充分楽しめて大変有意義であったと感じた。

(4)総曲輪フェリオ付近の散策
 午後は、ボランティアと利用者が、ペアになって出かける野外散策を行った。今回は、県民会館から総曲輪フェリオ近辺の散策とし、フェリオまでの道中での会話やフェリオでの買い物と約2時間の散策を楽しんだ。少し小雨がパラつく場面もあったが、おだやかな日和で、初めて出会ったペアの方も、城址公園沿いのあじさいの花の美しさを話したり、久しぶりに訪れて変化する町並みを話し合ったり、歩きながらも会話が弾んだ。
 フェリオの野外広場では、若者がたくさん来ており、その中で屋台での買い物も楽しんでいた。フェリオ内では、各階を巡りながら、最近のブランド品をながめたり、買い求めたりと、利用者にとっては大変貴重な体験となった。
 ボランティアさんからは、利用者さんとゆっくり話せ、病状も一人ひとり違うのだと認識できたこと、自分には、障害にくじけないで生きておられる姿を見て勇気をいただいたと言っておられた。
 今回のボランティアさんとの交流会は、午前の音声解説付映画という新しい鑑賞の視点が広がり、映画「雨あがる」からは、武士の妻の「何をしたのではなく、何のためにしたかが大事でしょう」と述べた言葉に教えられ、「素直で純粋な思い」の大切さを実感した。
 午後は、ボランティアと利用者のお互いの生き方や姿勢を感じ合い、友情と理解が広がったと感じた。今日の出会いは、ひとつの縁であり、きっかけかもしれない。この日の縁や体験を糧にして明日へと歩んでゆきたいものである。

◆平成20年度宿泊研修(家族激励大会・山岳歩行訓練)
                        厚生部 白口 務
 9月6・7日メルヘンの街小矢部市の担当で開催されました。クロスランドおやべに到着後、各支部の受付を終え、ホールへ入室し、2時より激励大会が始まりました。二口会長の挨拶、金谷小矢部支部長の歓迎の言葉につづき来賓の方々のお言葉を頂きました。
 激励大会中、雷・風雨(ゲリラ豪雨)でしたが、歩行訓練に向かう頃には小雨になり、本部役員の方が気象庁に問い合わせ予報を確認し、稲葉山へ移動するためバスに乗車した。今年はバス移動の際、観光ボランティアの方々も乗車され、所々において説明をして下さってとても楽しい車中でした。この場所は絶景のスポットと言われ、そこへ目を向けると砺波平野の散居村と黄金色の田んぼが綺麗でした。また、この地の伝説も語って頂きました。
 稲葉山牧場では小動物に触れ、この世知辛い世の中で、親が子を殺したり、子が親を殺したりする物騒な昨今、命の温かさ重さを感じ取れたのではないのでしょうか。
 歩行訓練終了後、バスに乗り宿舎の滝乃荘(たきのそう)に移動し、各部屋に別れ、各々風呂に入る者、談笑する者さまざまで、その後6時30分より二階の大広間において懇親会が始まり、民謡やカラオケ等楽しい一時を過ごしました。
 翌日、10時より2階の大広間において、前クロスランドおやべの館長岩堀恭一氏による「人造りと文化」と題して講演を頂きました。
 帰りは午後1時にバスに乗り、各帰路につきました。ご苦労様でした。
 担当された小矢部市の皆様、ボランティアの皆様有難う御座いました。来年も皆様とお会い出来ることを楽しみにしています。

 ここでボランティアの方から聞いた伝説を紹介します。          〈紅屋の娘〉                            昔、石動町に紅屋という造り酒屋があって、近在に評判が良く屈指の資産 家であった。「奉公するなら今石動の角の紅屋か平野屋か」と当時の人々に唄われていたくらいに下男下女を可愛がっていたから、奉公するならというこの唄が出たのである。
 その紅屋に小町と唄われた娘がいて、子供の時から脇の下に鱗が三枚付いていたが、誰も知らなかった。知っているのは母だけであった。ある日のこと、娘が乳母や女中を伴って、付近の宮島村の竜宮ガ淵へ遊びに行った。時のたつのも忘れて遊んでいる中に娘が水を求めたので、女中が付近の民家へもらいに行った。乳母と共に水面を眺めていた娘は、川岸に寄ったかと思うと、みるみる中に引きずられるようにして水の中に入っていった。乳母が助けを人々に求めたが、誰も来る者がなく、ただ泣き悲しんでいるばかりであった。
 日が次第に暮れて水面が物凄い程青く、淵を囲んでいる森からは狐の声が聞こえてきた。悄然と立っていた乳母が、ふと見ると、水面の中心と思われるところから、突然一大音響と共に大蛇に化した娘が現れて、「私は、この淵の主であって人間に生まれ変わって人間の世の中に住んでみたが、今日この淵に来ると水が恋しくなった。長い間お世話になったお母様、お父様によろしく」と言ったかと思うと、また水中に消えた。
 乳母が家に帰ってこのことを話すと、両親は初めて、あの子に鱗があった訳が判った。
 今でも石動より2里余(8キロ)のところにある宮島に竜宮ガ淵があって、不動の滝と共に名勝になっている。
───  越中郷土研究より── 

◆第32回 文化祭と福祉機器展をおえて
                      文化部部長 竹島 好子
 去る10月5日、金木犀のあまい香りがセンター一杯に漂うそんな日曜日に、第32回文化祭と福祉機器展が、多数の会員・家族そしてボランティアの方々の参加を得て盛大に開かれた。
 10時から二口会長のご挨拶に始まり、続いて今年はアトラクションとしてアフリカンパーカッションチーム「グゥイギ」の方々による打楽器の演奏会をお聞きした。    
 「グゥイギ」のメンバーは男女10数名の方々で、若い女性はアフリカの装い?で太鼓のリズムにあわせ、踊りながらにぎやかに入場された。
 アフリカの伝統的なドラム「サパール」と「ジャンベ」の打楽器を使って、研修室が破れんばかりに、元気一杯に演奏された。私たちにとってはなじみの薄い分野でしたが、初めてアフリカの打楽器に触れてみて、手で打ってみて、より深く理解できました。ドラムは、金属製の物かと思っていましたら太鼓のようで、瓢箪のようなものもあったようで、全身に元気がみなぎってくるのでした。                      
 午後からは、福祉機器展を見ました。
 「拡大読書機よむべえ」が展示され、とても取り扱いが簡単で覚えやすそうでした。それから、視覚障害者歩行補助具「パームソナー」も体験しました。前の穴から出る超音波ビームが、物に当たると本体が振動します。離れた物を感知する空中の杖として歩行の補助として、小さくて手のひらにバンドで固定するので、指が自由で、手をふさぎません。距離で振動の仕方が変わりますので、指が届く5センチまで、近づけるようです。価格は8万円位とか!、これを日常生活用具に指定してくださったら、1番に求めて、自由に社会参加したいですね。
 また、研修室では生きがい教室の発表も午後から行われており、コーラス、詩吟、民謡と進み、越中おわら節の歌声と共に、編み笠姿のボランティアの方々に続いて、会員も立ち上がって狭い研修室を優雅に踊りはじめました。そして、カラオケを最後に文化祭も多くの思い出を残して幕が閉じられたのでした。  
 いつも思うのですが、多くのボランティアの方々の尊いご支援をいただきながら、とても楽しいひと時を過ごさせていただきますこと、心よりお礼申し上げます。有難う御座いました。

◆平成20年度 第57回点字競技会・第9回パソコン競技会の報告
                         副会長 堀 惠一
 本年も10月26日(日)にセンタ―研修室において開催されました。  参加者は点字の部に14名、パソコンの部に4名で、顔ぶれは例年と余り変わりませんでしたが、それぞれに読み書きに正確さと速さを競った。
 また、午後は審査の間の時間を利用して、例年やっている百人一首をボランティアの皆さんとともに元気に楽しみました。

〔成績〕
◎点字競技
○団体の部 一位 高岡市、 二位 富山市、 三位 射水市
○総合一位 松波律子
○一般の部 一位 松波律子、 二位 上沢淳一、 三位 関川礼子
○中途失明者の部 一位 塘添誠次、 二位 竹島好子、 三位 谷内幸子
○田島杯 谷内幸子
◎パソコン競技 一位 上沢淳一、 二位 竹島好子、 三位 安田庄内

 会長の挨拶にもありましたが、来年2009年1月4日は点字の考案者のルイ・ブライユの生誕二百年だそうですが、この六点点字が考えだされてからも世界で支持されるまで、多くの人々によって、視覚障害者にとって使いやすい便利な方法は何かといろいろ熱意をもって研究されてきたそうです。その多くのエネルギーによって到達したのが、結局現在の点字だそうです。なんといってもこの点字は、社会で生きていくために必要な読み書きの基本であり、パソコンを使うにしても大いに役立つものであり、今では富山県だけがこの点字競技会を開催しているらしいですが、競技がいいかどうかは別にして、このすばらしい点字という大切なコミュニケーションの道具を大いに多くの皆さんに活用して頂き、来年は点字・パソコンともに、もっと多くの若い皆さんにも参加していただけるようになれば嬉しいです。

◆更生相談会報告
                      厚生部部長 塘添 誠次
 平成20年度の更生相談会が、11月30日(日)にライトセンターで開催されました。今回の更生相談会は、平成21年5月21日から開始される「裁判員制度」について、富山地方裁判所の藤田総務課長と安田係長に講演をしていただきました。            
 講演は、説明の途中で適宜区切って会員からの質問や意見に答えていただきました。会員からは多くの発言があり、活発な質疑応答がなされました。
 以下は、裁判員制度の講演内容です。

1.裁判員制度とは
 裁判員制度とは、国民から選ばれる裁判員が、刑事裁判に参加する制度で、6人の裁判員と3人の裁判官が、ともに刑事裁判に立会い、被告人が有罪か、有罪の場合どのような刑にするのかを判断する。
 視覚障害があるため、裁判に参加する際に、何らかの手伝いを希望される方は、裁判所に連絡すると、どのような手伝いが必要か相談にのってくれる。又、視覚障害があることを理由に辞退を希望する場合は、裁判所にその旨を連絡する。            
2.裁判員裁判の対象事件
 対象となる事件は、殺人罪、強盗致死傷罪、放火罪など重大な犯罪である。
 平成19年にこれに該当した事件は、全国で合計2643件、富山で11件であった。    
3.裁判員制度を実施する裁判所
 富山市にある富山地方裁判所の本庁のみである。
4.裁判員裁判の日数と時間
 約7割の事件は3日以内で終わる。その場合は、3日間連続して行われる。時間は、午前9時半ごろから午後5時ごろまで。
5.裁判員の役割
 (1)裁判員は、裁判官と一緒に法廷での審理に立ち会う。分かりやすい審理が行われるように工夫されているので、法律の知識も必要ではない。 
 (2)裁判員は、裁判官と一緒に評議で意見を述べる。即ち、被告人が有罪か無罪か、有罪の場合、どのような刑にするか議論し、決定する。   
 (3)裁判員は、裁判長が行う判決宣告に立ち会い、職務を終える。

6.裁判員等選任手続きの流れについて               
 (1)毎年秋ごろ、翌年の裁判員候補者名簿を作成し、12月ごろまでに調査票と名簿記載通知書が送られてくる。富山の平成21年度の名簿には、2200人が選ばれた。     
 (2)一つの事件には、候補者名簿からクジで50人(3日以内で終わる事件)が選ばれ、裁判の6週間前までに、選任手続き期日のお知らせ(呼び出し状)や質問票が送られてくる。                   
 裁判員になることの辞退を申し立てできる理由には、
①重い病気やケガで裁判所に行くことが難しい。 
②親族・同居人の介護・養育を行う必要がある。 
③仕事上の重要な用務があって、自分がこれを処理しなければ非常に大きな損害が生じる恐れがある。 
④他の日時に行うことができない社会生活上の重要な用務がある。 
⑤妊娠中または出産日から8週間以内である。 
⑥親族・同居人が重い病気またはケガにより治療を受けるために通院や入退院をする際に、付き添う必要がある。 
⑦妻・娘の出産に立会い、または、これに伴う入退院に付き添う必要がある。
⑧裁判所の管轄区域外の遠く離れた所に住んでおり、裁判所に行くことが難しいなどがあり、質問票にそれを記載するか裁判所にその旨を連絡する。 
 (3)裁判当日は、午前9時半までに裁判所に行き、裁判長から不公平な裁判をする恐れがないかなどの聞き取り調査があり、クジで6人の裁判員が選任される。又、裁判の途中で裁判員の人数が不足した場合に備え、補充裁判員を選任することもある。午前中で手続きは終了し、選任されなかった人は帰宅することになる。選任された場合、午後から審理が始まる。    
 以下に質疑応答を抜粋してQ&Aとしてまとめました。        
 Q 裁判所への往復に大変負担を感じるのですが、その場合はどうすれば良いのでしょうか?
A 個人によって御事情が違うので、裁判所に御連絡をいただきたいと思います。裁判所は、その御事情を伺ったうえで検討させていただきたいと思います。
Q ガイドヘルパーを利用する場合の費用などは、どのようになるでしょうか?
A 最高裁判所では、ガイドヘルパーの費用は全額裁判所が負担するという方向で検討を進めています。
Q 自宅から裁判所に通う途中で事故にあった場合は、どうなるんでしょうか?
A 裁判員になってからは、公務員という扱いになりますので、災害補償の規定が適用されます。又、裁判員候補者の間は、災害補償の規定の対象にならないか検討中です。
Q 全盲のため、資料が読めないのでどうしたらよいですか?
A なるべく言葉で説明するということで、資料はできるだけ作らない方向で検討しています。
Q 裁判員が参加する裁判は、第一審だけですか?
A 第一審の裁判だけで、高等裁判所に控訴された事件には参加しません。
Q 証拠品は触らせてもらえますか?また、証拠品が見えないことに対する配慮はどのようにしてもらえますか?
A 証拠には、先ず証拠書類というものがありますが、これについては、検察官が朗読することになっています。証人尋問や確認質問は口頭でやり取りされます。視覚障害者の方にとって問題となるのは、写真とか物でありますが、写真の場合、口頭で説明して理解できるようなものであれば口頭で説明をします。しかし、実際にそれを見て判断を下さなければならないような事件は不選任となります。又、証拠品は直接触ることはできません。
Q 毎年選任されることはありますか?
A 裁判員候補者に毎年なる可能性はあります。但し、一度裁判員に選任された場合には、5年間は辞退することができます。
Q 1年に何回も選任されることはありますか?
A 裁判員候補者になって一度でも裁判所に来ていただいた方は、名簿から削除されるので、その年に再度選任されることはありません。但し、辞退が認められて裁判所に来ていない方は再び選任される可能性はあります。
Q 調査票と質問票を提出しなかった場合はどうなりますか?
A 調査票の返信は義務ではありませんが、送り返さない場合は、そのまま手続きが進行します。何か事情がありましたら裁判所の方に連絡をしていただければ、無駄な手続きをしなくてもすみますので助かります。質問票は、罰則規定はありませんが、提出することが義務となっています。尚、これらを書けない方は、電話でもかまわないので御連絡いただければ御相談に応じたいと思っています。
Q 質問票は他人に見てもらってもよいでしょうか?
A 裁判員候補者になったことは、公にしてはならないことになっていますが、身近な者には言ってもかまわないので、その方に書いてもらってもかまいません。
Q 人数が不足する場合とはどういうことをいうのでしょうか?
 A 急病などで裁判所に来られなくなった場合のことを想定して、予め補充裁判員を選任しておくことで、その人の替わりとなって裁判員を務めるものです。
Q 富山地方裁判所は、点字ブロックやトイレなどバリアフリーの設備はちゃんとなされていますか?
A 点字ブロックにつきましては、既に設備してあります。尚、裁判員候補者として裁判所に来ていただく場合には、裁判所の職員が一人つきまして御案内するようなことを考えています。
Q 裁判員の守秘義務とは、どのようなものでしょうか?
A 法律では、「候補者になったことを公表してはいけない」となっていますが、身近な家族や会社の上司などに言うのは構いませんが、インターネットなどに載せるのは駄目です。
Q 裁判員候補者になった旨の通知が郵送されてきたのに、気づかなかったときはどうなりますか?
A 名簿の記載通知は普通郵便で送られますので、もし知らないままでいると、裁判所のほうはそのことが分かりませんので、支障がないと判断されます。但し、事件ごとに選ばれる候補者になった場合、今度は書留郵便で送られますので、そのときに事情を言ってくだされればよいと思います。
Q 富山市の場合、市から送られてくる郵便には点字で「とやまし」と書かれた封書が送られてきます。裁判所からもそのようにしていただければと思いますが如何でしょうか?
A ちょっとこの場でお約束はできないのですが、御要望として上級庁に伝えたいと思います。
Q 裁判員候補者に選ばれたくないので、予め名簿から削除してはいただけないのでしょうか?
A 選挙人名簿に登録されている人の中から選びますので無理です。
Q 裁判員候補者の抽選は、富山県で一括して行われるのか、市町村分担ですか?
A 市町村分担で、人口比で人数を決めています。
Q 模擬裁判の録音テープなどはありませんか。
A 既に作成してあるDVDがありますので、それをCD化してできるだけ早くセンターに納めたいと思います。
Q 重大な事件の裁判を担当するということですが、そのような事件を裁いたときの裁判員の精神的なリスクに対するケアはどのようになっていますか?
A 精神的なダメージを受けた方に対しては、中央ではカウンセリングを準備して対応させていただこうという方向で検討しているようです。
Q 3日間で終わる裁判の場合、審理や評議の日程はどのようになっているでしょうか?
A 11月18日から20日に行われた模擬裁判では、1日目の午前は選任手続きで、午後1時から2日目の午後2時まで審理があり、その後評議が3日目の午後2時半まで行われました。そして、意見の中に「私は、世の中にいっぱいいろんな人の恩恵を受けているんで、協力のできることはしなければならないのではないかと思いました」というTさんの発言が光っていました。

 今回の更生相談会は、裁判員制度への関心の深さと「田島名誉会長の米寿の祝い」の前に行われましたので、70名という多くの参加者がありました。来年度も今年度同様多くの会員の参加をお待ちしています。又、御意見や御要望がございましたらお知らせください。

◆田島名誉会長 米寿を祝う会
                        副会長 中西 美雄
 平成20年9月25日、本会の田島名誉会長が88歳「米寿」をお迎えになられました。心よりお祝い申し上げます。おめでとうございました。
 私たち執行部は、日頃より何かとご指導をいただくなど、物心両面で協会を支えていただいていることに対し、感謝の意を表す絶好の機会と捉え、「米寿を祝う会」を計画いたしました。本来ならばこの日に開催すればよかったのですが、どうしても日程に無理があり、11月30日(日曜日)に開催する運びとなりました。             
 当日は、県下全域から80名を越える会員の皆さんのご賛同を得て、盛大に開催できましたことを深くお礼申し上げますとともに、田島名誉会長に対する会員の皆様の心根も伝わって、ただただ会員の皆さんに感謝いたしたところであります。          
 当日の祝辞や雑談の中でも、田島さんの足跡に付いてのお話がありました。私からも一つ紹介させていただきます。
 それは、流杉老人ホームが新設されるときの話です。県視障協として定員50名ほどの「盲老人ホーム棟」もいっしょに造ってほしいとの要望を出していました。
 「会長さん、50名の棟を造るのはいいが、それを満たすことができますか?」と指摘された時は、さすがの田島会長も下を向いたという話を聞きました。ところが、斡旋案も準備されていて、「本体の中に定員20名程の視覚障害者専用ベッドを設ける。空いている時は、一般の人を住まわせておくが、視覚障害者が入居された場合は速やかにそこを空け、視覚障害者を入居させる」ということで、両者の意見の一致をみて、現在にいたっているということです。
 ところが、今から5・6年前に騒動が起きました。視覚障害者が入居を希望して、受付窓口へ行ったところ、「現在満員で入居はできません」という答えでした。これを知った田島会長は、早速交渉しましたがなかなか埒(らち)があきません。ところが、夢か、幻か、お告げか、ホーム竣工式の「中沖県知事の挨拶文が残っているはずだ」と思い、早速窓口へ電話し、存在の確認を得て、無事その会員の入居が実現したという実話もあります。
 まだまだ多くの話はありますが、紙面の関係もあり、今回はこれにて留めさせていただきます。
 最後になりますが、田島名誉会長におかれましては、ますます元気で11年後の白寿をめざしていただきたいと願っております。中途で失明され、めげることなく社会復帰され、我々の指導者として多くの足跡を残されました。今や会員の道しるべであり支えです。それが、田島名誉会長の使命であると思っていただき、健康にご留意されましてセンターにもお越しいただきますようお願いいたします。

◆「鍼灸と出会い」と題し  三療研修会
                      施設部部長 上坂 敏彦
 「インドに出かけ、ネパールの医師と寺で過ごした事が、鍼と出会った最初です」と、富山県鍼灸マッサージ師会の広報部長林博司先生は、鍼灸師になったきっかけを話された。
 20年度三療部・施設部合同の三療研修会を、11月16日(日)ライトセンター研修室で開いた。今年は、富山県鍼灸マッサージ師会理事林博司先生を講師に招き、「鍼灸と出会い」と題して、講演頂いた。
 先生は、大学を途中で辞め、現在のフリーター状態でインドに渡り、(仏蹟巡拝)寺で共に生活したネパールの医師から鍼の魅力を聞かされ、帰国後は、鍼灸専門学校に通った。その専門学校時代に、工藤医師より刺絡を習われた。そして再びインドとネパールへ、お礼と治療ボランティアを兼ねて、出かけておられる。マラリアの解熱には刺絡が大いに役立ったと。また阪神大震災にも、友人を訪ねて被災地へ、ボランティアとして出かけてこられた。
 これまで先生は、鍼と出会われ、そして、人との出会いを大事に積み重ねてこられました。また、インドやネパール、さらに被災地など、激悪な環境で治療されてきました。この人間との付き合いが、この治療経験が、人種や言葉が違っても、どんな生活や環境にもとらわれず、純粋に身体の変化を診て、体を調整する技術に繋がっているように思えた。先生の、これからの出会いも楽しみです。                     
 2時間休むことなく、要所に笑いも交え楽しい話でした。できればもう少し参加者があったらと思う。それは、こちらの懸命さの結果でしょうね。 

◆《大会参加報告》
  第54回全国盲女性研修大会(愛媛県大会)に参加して
                     女性部副部長 柳田 信子
 真夏日が続く暑い日に愛媛県大会が行われました。富山県から四人参加しました。その日は、あいにくの空模様で、途中集中豪雨や河川の氾濫や、落雷の影響がもろに私たちの前に立ちはだかり、列車がなかなか目的地まで行けず、奥道後までアクシデントやトラブル続きの大混乱の道中でした。
 それでもやはり、正確な情報や、最新の情報を知るためには、時間や費用をかけても大会に参加しなければなりません。そうすることによって、自分自身に沢山のいろんな収穫があると思いました。
 それでは、全国大会の内容を下に記します。

 第1日目 7月28日(月)12時30分から16時まで 常任委員会、全国委員会
 第2日目 7月29日(火)午前10時から12時まで 代表者会議

 (1)平成19年度事業報告、収支決算報告、監査報告
 (2)平成20年度運動方針、事業計画、予算
 (3)代表者会議提出議題について
 (4)会報《あかね》について
以上のことがいろいろ議論され、結果満場一致で賛成されました。

 第2日目 13時から16時30分まで 研修会
 第1部 講演 講師 夏井 いつき氏
 「今日からあなたも俳人です」というテーマで、俳句は日常生活をするのと同じ感覚で誰でも気軽に作れる。と例をいろいろ上げて、楽しく講演されました。        
 第2部 レポート発表、意見交換
 「私が今いちばん困っていること」というテーマで、各ブロック代表者9名が、それぞれの思いで、視覚障害者であるがゆえの、本当の切実な苦しい、大変困っていることを発表されました。その後、会場からの意見交換が、活発に行われました。        
 第3日目 7月30日(水) 大会 9時20分から12時まで
  第1部 式典、第2部 議事
 議題
 (1)代表者会議の報告と承認、(2)研修会の報告と承認
 (3)宣言案の採択、(4)決議案の採択
以上の4項目は、それぞれ承認、採択されました。

 閉会式
 (1)次期開催県の挨拶
 第55回大会の開催は、平成21年9月8日、9日、10日、「ゴーゴー(55)神奈川」を合い言葉に、大磯プリンスホテルで開催されます。
 (2)閉会宣言
 新しい会長になってから初めての大会で、新しいスタッフで、一生懸命頑張った大会であったと思っております。沢山のボランティアのお陰でいろいろな方々の手助けによって、研修会が行われ、無事終了することができました。

 以上 全国盲女性愛媛県大会の報告です。

◆第54回全国盲青年研修大会 岡山大会
                      青年部部長 濱野 昌幸
 平成20年9月13日から15日までの3日間、岡山県で行われた第54回全国盲青年研修大会に参加してきました。この大会は全国の視覚障害青年の問題解決や交流を目的として年に1度、全国各地で行われているもので、平成19年には富山で開催されたものです。              
 今回の岡山大会では、富山から2名が参加して研修会や分科会などに参加してきました。私は大会の主催者としてそれぞれの会場を動き回っており、実際の中身に集中できたのは代表者会議や分科会くらいでしたが、その中でも活発な論議や意見交換が行われました。               
 各地の青年部から提出された議題を論議の上、絞込みを行い日盲連福祉大会への提出議題を作成したり、青年協議会の活動・予算を論議したりと忙しくも充実した内容となりました。                   
 また、青年らしく交流の面でも様々なアトラクションが用意されていました。アームレスリング大会やバンド演奏など参加型のアトラクションが多いのも若者らしくいい傾向だと思います。                
 大会全体を通して活気があり、地元の工夫が感じられるいい大会だったと思います。 
 しかしながら、参加者の高齢化や非常識さ、マナーの悪さなどには目に余るものもあり、今後に向けた課題があることも事実です。公的に取り組むべき課題もありますが、個人の人間性の問題やそれを抱える人の割合の高さなど、公的には対応しきれない課題にどう対処すべきか、これからの組織の弱体化に歯止めをかけるためにも、重大な問題と改めて感じさせられました。

◆第17回北信越サウンドテーブルテニス大会報告
        富山県サウンドテーブルテニスクラブ部長 中西 美雄
 平成20年度、第17回北信越ブロックサウンドテーブルテニス大会は、去る10月12・13日に石川県担当で、金沢市の[むつみ体育館]で開催されました。この両日は、天候に恵まれ屋内よりも、テーブルを外に持ち出して行った方がいいほどの、秋晴れ爽やかな二日間でありました。    
 大会は、男子・女子のアイマスク有りのみで行われました。      
 初日(12日)は、13時より開会式。ここでは、石川県視障協の理事長さんや後援者である金沢西ライオンズクラブ、石川県や金沢市などからの来賓の皆様からご祝辞をいただいた後、13時30分から、個人戦が始まりました。
 個人戦は、3・4人を一組とするリーグ戦。男子(22名)は7グループ、女子(14名)は4グループに別れ、その中の第1位の選手が決勝トーナメントに進む方式で熱戦の火蓋が切って落とされました。試合は、個人戦・団体戦を通して、11点3セットマッチで、2セット先取した方が勝ちとなります。リーグ戦を勝ち抜き、優勝者が決まったころは17時に近くなっていました。
 成績は次の通りです。                       
〔個人戦男子の部〕
優勝 開田正一(石川県) 準優勝 古谷修二(石川県) 第3位 田辺秀雄(石川県)
〔個人戦女子の部〕
優勝 徳市和美(富山県) 準優勝 北川歌子(石川県) 第3位 早苗幸子(福井県)
 夜は、楽しい懇親会です。当番県が趣向をこらして、参加選手の緊張をほぐし、個人戦の疲れを癒してくれる一時です。今年は、イントロクイズでした。曲の難度によって点数が与えられます。普通のイントロは1点。逆回転のイントロは5点、早送りのイントロは10点というふうに進められました。
 私も演歌のイントロには自信がありましたが、ちょっと反応が遅くなっていることと、曲は判るが曲名がでてこないという、いわゆるお年現象が現れていました。      
 13日は、8時30分から団体戦です。各県それぞれ1チームから3チームが出場、合計10チームで優勝を争って各々の実力を発揮していました。
 団体戦はトーナメント方式で、男子2名女子1名を原則とし、2ゲーム先取が勝ちとなります。
 団体戦の試合結果は、優勝新潟県チーム、準優勝は福井県チーム、第3位は富山県チーム(塘添誠次、徳市和美、安達 実)でした。       
 この大会を通して、いつも思うのですが、技術の差、練習量の差、そして、気合の差が時の運を超えている。やはり技術的に優れている人の打球は、リターンの飛び出しも少ないし、フォルト(ネットや飛び出しやコースアウト)も少ない。それらは、練習によって養われるものであって、私のように練習量も少なくて素質もないものには、なかなか難しいスポーツであるということが痛感させられます。が、このサウンドテーブルテニスが好きであり、若い人たちと交われるという大きな喜びを持って、もう少しこのスポーツを続けていきたいと思っています。                    

◆《みんなの広場》 剱岳の登頂に成功して
                     射水支部 塘添 誠次 
 私は、視覚障害者と一緒に山に登ろうという「三ツ星山の会」の会員となり、8シーズン目にして今年、加藤敏昭さん(富山市)をリーダーとし、山村洪一さん(神奈川県海老名市)の協力を得て3人のパーティーで、8月30日(土)から9月1日(月)の2泊3日の行程(早月ルート)で剱岳登山に挑戦した。
 目の前の物が見えず、光しか感じない私が、二人の献身的なサポートで無事山頂に立つことができた。                       今回は、昨年10名のパーティー(内2名が視覚障害者)で挑戦したが、登頂できず、その再挑戦だったのだ。
 この「三ツ星山の会」に入るまでは、中学生のときに九州で一番高い久住山(1787m)に一度登った以外は500~600メートルの山に数回登ったことがあるだけで、登山の経験はなかった。そんな私が剱岳(2999m)に登れたのだ。
 8月30日、東京から夜行バスでやってくる山村さんと富山駅前で待ち合わせ、加藤さんの車で5時半に出発する予定だったが、関東地方が豪雨のために到着が少し遅れ、5時50分の出発となった。
 午前7時過ぎに登山口の馬場島(760m)に到着。既に幾つかのパーティーが来ており、加藤さんの知り合いもいるようだ。連日日本各地で集中豪雨があり天候が心配されたが、今朝は曇。明日の予報が晴とのことで決行となった。
 予定では、サポートは他に山岳ガイドが二人つくことになっていたが、二人とも風邪をひいたために急遽同行できなくなった。しかしながら、そのうちの一人森田さんが登山口まで来ており、松尾平まで見送ってくれることになった。
 7時20分に登山開始。登山口からいきなり急登な上りで、立山川のせせらぎの音を聴きながら、前を行く山村さんのザックにつけたサポートロープを左手で持ち、右手はストックをついて、山村さんが説明してくれる障害物や段差などを聞きながら、上下左右の動きに合わせて後ろにピッタリとついて進む。そして、私の後ろを行く加藤さんが私の動きを見て、適切なアドバイスを出してくれる。オーバーペースにならないように気をつけながら登る。
 25分ほど登ると一旦平坦な所に出たあと、再び登り松尾平(1000m)に8時過ぎに到着。ここで森田さんと別れ3人のパーティーとなる。これ以後は稜線に出るまでは急な上りの連続である。
 順調に登れていたが、1200メートルあたりにきたとき、右太ももの前面に違和感を感じたので、早めに手入れをし、登る。すると、しばらくして今度は左の太ももに違和感を感じる。そこへ雨が降り出した。カッパを着るついでに左脚の手入れをし、再び登り始める。
 ところが、1400メートル付近に来たとき今度は空腹感を感じたので、10時という早い時間であったが無理を言って食事をさせてもらう。こういう登山のときの休憩は、20~30分登ると給水のために立ったままで1~2分間とり、50分ほど登ると給水と行動食をとるためにザックをおろして5分間とるのが普通なのだ。休みすぎると到着がそれだけ遅くなるのは勿論のこと、脚がこわばるからである。
 雨の降る中、何とか腹を満たすことができたが、この先やや不安になる。そして、気合を入れなおし、登る。1600メートルを過ぎた所の梯子の箇所を通過する頃から元気が出てきた。体が山に慣れてきたという実感が湧いてきた。
 それからは、どんどん高度をかせぎ、昨年は2000メートル地点で小屋まであと1キロという所からがすごく長く感じられたが、わずかの休憩をとるだけですますことができた。そうして、稜線に出る前の一番の難所、縄を張っている所で、大きな岩が立ちはだかる。両手を上に伸ばしても届かない。二人の指示に従い、ロープを思い切り引き、岩に足を垂直に着き、体を水平に仰向けになるようにして登る。
 そうして、稜線に出たあと、山小屋が見え出したときは1時半過ぎで、加藤さんがブルーベリーの実を見つけて取ってくれ、数粒を食べる。甘酸っぱい味がして、元気が出てくる。これぞ「山の恵みなのかな!」と思った。早月小屋(2200m)到着1時45分。
 小屋は、暖房がきいており、着替えたあとビールで乾杯。既に到着していた同室の人や、他の部屋から来られた人達と会話を楽しむ。雨は相変わらず降り続いており、明日までに雨があがらなければ登頂を断念しなければならない。やむを得ないとはいえ、ここまで来ているのに残念だ。      
 ところが、夕食を終え、しばらくすると雨があがり、夕焼けが出て富山湾がきれいに見えるとのこと。喜んで山村さんと窓から外を見ると私の目でもぼんやりと夕陽が見え感動! そして、夕陽が沈んだあとの夜景が素晴らしく何度もここに来ている加藤さんも絶賛。明日は天気であることを念じながら7時過ぎに就寝。
 8月31日。1時半ごろ目覚める。それからは眠れずにいたが、早立ちのパーティーが2時半ごろ起き出し、3時過ぎに出発していった。        私は、3時半に起き、朝食用に持参したパンを食べる。4時過ぎに山村さんと加藤さんが起きる。二人ともあまり熟睡できなかったようだ。弁当をいただき4時50分出発。
 いよいよ本番だ。この日のために日々トレーニングを怠らず、今年も登山シーズンに入ると色々な山に登って身体を鍛えてきたのだ。何とも言えない、ほどよい緊張感がみなぎる。
 今日の天気は、薄暗く周囲の景色は見えないが、雲はないとのこと。思いが通じたのか、明るくなるにつれて快晴だということが分かってきた。富山平野もきれいに見えるそうだ。
 私は、昨日の後半の調子が持続しており、体調良く登れる。2400メートルを過ぎると急登の上りの連続となったので、ストックなしでの登山となる。アップダウンのルートとなり重心がふらつくが、左手はサポートロープ、右手はザックの右端をつかみ真後ろにつき重心をとりながら慎重に歩を進める。
 そして、急峻な崖の所ではサポートロープも放して四つん這いになり手を着きながら登らなければならない箇所が増える。昨年登頂を断念した2850メートル地点を7時50分に通過。
 いよいよ最大の難所に向かうのであるが、その前にハーネスを着用し、腰にロープをつける。そのロープの端を後ろを行く加藤さんが持ち、私が危険な動きをしたときに修正したり、滑落を防ぐためだ。
 これからは、両側とも崖で非常に狭い尾根を通過するので、足を踏み外すことはできない。私は前を行く山村さんの真後ろにピッタリとついて一歩一歩慎重に進む。
 そして最も危険な鎖場にたどり着く。実は、鎖場は視覚障害者にとってはどの方向に行けばいいかが分かるので、晴眼者が思うほど危険性を感じないのである。
 しかし、鎖をしっかり握り、左の方向へ進んでいるのだが、左足を出しても踏ん張れる適当な場所を見つけられない所に来た。鎖が切り替わる箇所で、左手を次の鎖、右手を手前の鎖を握って左足を出すのは安定して出せるのだが、どうにも着地できる適当な場所が見つからない。
 すると両手を次の鎖に移すように指示が出る。そうすると、上半身だけが左に移動し、左足を出そうとすると右足も離れ鎖にぶら下がるような感じがして左足が出せない。
 そこへ岩を迂回するように左足を出すようにと指示が出る。その指示を信じ左足を出すと、何とスムーズに左足が着地でき、無事通過できた。
 以後は、ボルトの箇所などもあったが、順調に通過できた。あとは山頂に向かう岩場である。昨日小屋で一緒だった人達が既に登頂を終え、下山するところに出会う。皆が励ましてくれ、多くの女性から握手を求められた。私だけが味わえる喜びだ。更に、梨までいただいた。
 そして、山頂到着9時半。なんと昨年登頂を断念した時刻に山頂についたのである。互いに握手をし、喜び合う。そして、新しくなった峰本社の前で会の旗を広げ記念写真を撮ってもらう。富士山までは見えないが、素晴らしい眺望とのこと。
 少し早い食事をとる。帰りの鎖場の安全確保のためにカラビナを着ける。10時に下山開始。岩場を慎重に下り、再び鎖場だ。2個のカラビナを鎖に引っ掛け、それを移動させながら通過し、岩場を横ばいで移動する箇所に来る。3点支持で移動しなければならないのに、時々3点支持が不十分となり、厳しく注意を受ける。
 そして、縄の張ってある箇所を懸命に下りる。上りと違って下りはストックを持っていないので次の1歩の深さが分かりにくい。尻をついて下りたり、反対向きの四つん這いになって下りなければならない所などを懸命に下り、2800メートル地点まで来る。
 このあとの下りも難所はあるのだが、最大の難所を通過できてとりあえず一安心。小休止後小屋に向かうが、小刻みに足を出さなければならない所でも多めに出てしまいバランスをくずすので、サポーターとしてもかなりいらだちを感じただろう。以後、わずかの休憩を入れながら、ようやく再びストックの着ける2400メートルの手前に来た。午後2時である。もう少しだと思うと元気が出てくる。
 そして、懸命に歩を進め小屋が見える所まで来たとき、小屋の方からこちらに向かって呼びかける声が聞こえてきた。私は、歩くのに真剣で何と言っていたのか聞き取れなかったが、山小屋の主人の佐伯さんらしい。心配して先に下山してきた人達に様子を聞いていたのではないだろうか。気にかけてくださっていたことがうれしい。
 山小屋到着午後2時40分。登頂でき、明るいうちに戻ってこられたことを皆で喜び合い、外のベンチでビールで乾杯。
 実は、95%の確率で日没までに小屋まで戻って来れないことを想定し、加藤さんは3週間前にテント泊ができるように必要な器材を山小屋に持ってあがり、保管してもらっていたのだ。
 部屋は、昨日と同じ部屋だったが、相部屋の人はおらず、我々3人だけだった。佐伯さんの配慮らしい。何とうれしい気配りだろう!
 夕食は、前日と同じカレーライスだったが、登頂できた満足感と安堵感で特にうまいビールが飲めた。そして団欒後8時過ぎに就寝。テント泊にならずに済んだうえに、ゆったりと布団の上で寝られるとは何と幸せだろう。
 9月1日4時過ぎに起床。二人ともほっとされたらしく、昨夜はぐっすりとよく眠れたとのこと。朝食を済ませ、6時に佐伯さんたちの見送りを受け下山。今日も晴だ! 登山口に着く最後の一歩まで気を緩めないように慎重に下りる。登山口到着11時10分。無事に下山できたことを喜び合う。
 今回の剱岳登山は、昨年途中で断念せざるをえなかったので、何としてでも剱岳を制覇したかった。3人でひとつの芸術作品を完成させたような達成感を味わうことができた。加藤さんと山村さんのおかげである。お二人に感謝したい。

◆『ボランティアと利用者交流会』に参加して
                  下新川支部 舟川 由紀子 
 7月6日、県民会館で行われた『ボランティアと利用者交流会』に参加し、初めて『音声ガイド付き映画』を体験しました。以前私は、県民会館での講演会で、同時通訳をイヤホンで聞いた事があり、「もしかして、あんな感じかな?」「映画に解説って?」「解説が、映画のじゃまにならない?」「映画、楽しめるのかな?」なんて、色々想像しながら、会場へ向かったんです。
 今回私は、勿論視力の事もありますが、画像を全く見ないで、耳から入る情報のみで、映画を鑑賞しました。当初私は、映画『雨あがる』という作品そのものには、ほとんど興味が無く、ただ『音声ガイド付き映画』と言う事に興味を持ち、参加していたのですが・・・・・。
 途中、映画の迫力ある音に、ちょっと抑えた、柔らかで、優しい解説の声が聞こえにくく、少々イライラ~~「でもこれは、イヤホン等使用すれば、解消出来る問題点かな?」なんて思いながら聞き入っていました。
 そうです、いつしか私は「演者の表情は、こんなだよ!」「こんな人達が、こんなふうにしてるよ!」「風景は、こんなだよ!」なんて、耳元でそっと教えてくれているような解説に引き込まれるように、映画『雨あがる』という作品そのものを、楽しんでいたんです。
 映画観賞後、行われた、意見交換の際、
○ 解説が多すぎる。
○ 解説があると、想像力のじゃまになる。
○ 解説の声が小さすぎる。
○ 解説がある事で、映画がよりよく理解できた。
○ わかりやすい解説ではあったが、ある程度『時代劇』を知らないと理解出来ない用語があった。
○ ついつい映画館への足が遠のいていたが、久しぶりに映画を楽しむ事が出来た。
○ 解説があった事で、映画を、今まで感じていた以上に楽しめたように思い、映画館において『障害者割引』のある事を、改めて理解した。
 等々、意見が述べられていました。私は、さまざまな意見を聞く中で「障害者割引」と言われた、Tさんの言葉に「うーん、なるほど!」なんて、改めて自分自身も納得。
 私が作品を理解するのは、演者が語る言葉。そして、自然を含めたさまざまな音。それに、私流の想像力によるものであって、作品が語るもの、監督が訴えたいものは、それだけでは、正しく理解できないのでは?監督が求める、演者の表情、しぐさ。そして、風景や色。これら視覚に訴えるものもかなり重要であり、これらが『解説』というサポートを受ける事で、こんなにも『映画』を理解し、楽しむ事の手助けになるのかと、改めて感じました。 私達視覚障害者は、とかく情報難民になりがちです。ここに、日頃より『音訳』『点訳』のボランティアをしていただいている皆様に、改めて、感謝します。

◆ボランティアと利用者交流会(解説付き映画を鑑賞して)
                     高岡支部 田口 明美
 7月6日(日)、富山県民会館で、点訳・音訳のボランティアと利用者の交流会があった。午前中が解説付きの映画鑑賞で、午後からボランティアの方々との交流会だったのだが、私は、映画鑑賞に関して感想を述べてみたいと思う。
 映画は山本周五郎の「雨あがる」だった。映画そのものも、とてもほのぼのとした話だったのだが、やはり何と言っても解説が良かった。映画の中に、侍が一人で刀の所作をやっているときの解説は、特に視覚障害者の私にとって、正しく理解出来て本当に良かった。
私たちは、テレビや映画では、いつも想像で場面を理解することが多いのだが、これは常に正しいものだと限らないことがあることを知らされることがある。そんなときは、とても残念な気がしていたものだ。それにテレビドラマや映画では、どうしても想像も出来ないような場面は沢山ある。声も無く効果音も無いとき、例えば、人が遠くを見ているとか、眼と眼で会話を交わしているとか、人の表情とか、景色や状態などなど。そんなことどもが、解説付きの映画だと全て理解することが出来るのだ。私はだから最近は、あまりテレビドラマを観なくなっていた。それよりも情景描写のはっきり分かる本を読むほうが、何だか得をするような気がするからだ。その点、この解説付きの映画は、本当に映画を観ている気分にさせられた。
 映画を観た後誰かが言っておられたが、今まで私たちは随分損をしていたようだ。視覚障害者が映画館で半額になる理由が頷ける。このときは映画と一緒に解説を聴いていたのだが、実際は映画館ではヘッドフォンで解説を聴くようになっているらしい。このような解説付きの映画がどんどん増えて欲しいと願うばかりだ。しかし、外国映画はどうなるだろう。字幕スーパーだから、字幕と解説を聴くのはちょっと大変かなぁ?やはり外国の映画は吹き替えのものでなければ無理かもしれない。映画館へ行ったら必ずヘッドフォンを付けて、解説付きの映画が観られたらどんなに素晴らしいだろう。そうなったら私たち視覚障害者も、もっともっと映画館に足を向けることが多くなることだろう。とは言っても、果たしてどれだけのニーズがあるだろうか?映画と言っても様々なものがあり、解説をされる人のご苦労もある。そんなことなどを考えてしまうと、何だか気分が後退してしまう。(苦笑)
何だか締まりのつかない文章になってしまったが、私の願いは、映画館に行くと、当たり前のようにヘッドフォンを付けて解説付きの映画が観られたら良いなぁと言うことだ。そして、これはあくまで可能であればの話だが、ライトセンターでまた2回3回とこの企画を立てていただけると有り難いなぁと思った次第である。

◆ボランティアと利用者交流会の感想
                   音訳ボランティアひまわりの会
                         代表 四宮 一子
 今回の交流会、暑い日でしたが、利用者、ボランティア共々に和やかに終始致しましたこと、何よりとお慶び申し上げます。私も得難い機会を与えて下さり、参加出来ましたことありがたく存じます。
「雨あがる」音声ガイド付映画鑑賞は初めての体験で、とても新鮮であり、勉強になりました。〝何をしたかではなく何のためにしたかが大切〟との主人公の妻女のことばに共感を覚え、人生訓の一つに──  等と。
午後の部、私が組ませていただいた方は、中途失明者の59才の女性でした。(年齢をお尋ねしたわけではないのですが、話の流れで)30才目前2人目の子供の出産直後から、視力に異常をきたし、10年前位からは、光を感じるだけの状態になった。様々な葛藤を経てここ迄になれたのは、主人のお陰、一番の味方であり頼りであった。ある時、急に吹っ切れて、諦めと共に現状を受け入れることが出来るようになった。等話して下さり、こういう行事に初めて参加させて貰ったが、本当によかった、と喜んでおられました。
同じ境遇の方達と話をすることにより、気持ちがほぐれ、病状のことでもいろいろ参考になる情報も得られ、何より食事の時、食べこぼすことにそんなに気を遣わなくていいということが一番と、笑って話されました。日々どんなにこそ、と胸が詰まりましたが、その〝あっけらかんさ〟に救われました。又、ボランティアさんとこんな風にして行動することも初めてで、総曲輪フェリオでは、洋服やバッグに触れたり、説明を聞いたり等〝主人と一緒では、ゆっくりこんなことは出来ないんですよ。〟楽しかったと喜んでいただけました。10月のセンターでの文化祭にも是非お出掛け下さい、とお誘いも出来ました。
いつも思うのですが、障害をお持ちの方々に学ぶこと多いですよね。そして、こちらの方が元気を貰えることも───。
猪谷から参加されたこの方は、ご主人が迎えに来られ、県民会館の前でお別れしましたが、〝主人が一番の理解者〟〝障害をいただいてからの方が、人との絆が深まったように思う〟という言葉を、私は、一番印象深く嬉しくお聞きしました。ご主人の支えが、今のチャーミングで明るい彼女の原動力であったろう─── と。
私事ですが、姉妹のいない私にとっては、妹とのデイトを楽しませて貰ったとの思いもあり(彼女にもそう伝えました。)、心温まる一時でした。
生きとし生けるもの共生の社会造りの必然性を強く強く感じました。ありがとうございました。
 ちなみに、10月の文化祭で再会し、二人手を取り合って喜びました。

◆川柳 ───鍛歩歩(タンポポ)川柳会より───

  課題「夢」
     宝くじ 外れてしまう それもよし   恵子
手術室 女の夢が かなえられ     シゲジ
初詣 小銭で大きな 夢願う      ちえ実
夢を追う 女の背なに ある翼     シゲジ
また夢か 一発千金 幻に       恵子
風花の 舞うふるさとに 夢がある   シゲジ
雪の中 出かけ新たな 夢さがす    ちえ実
過去の夢 語り合ってる 老人会    ちえ実
老いた今 夢を枕に 春を待つ     善正

  課題「甘い」
     吊し柿 自然の甘さ 蓄える      洋子
考えの 甘い男の 保証印       シゲジ
糖分を 朝取り脳の 活性化      洋子
魂胆の あるコーヒーは 甘くなる   シゲジ
子供より 孫にはあまい お年玉    ちえ実
プロの技 甘さ渋さを かもし出す   恵子
娘には いくつになっても 甘い父   ちえ実
お疲れに 甘いぜんざい 元気出る   ちえ実
甘さたり からさ足りない 現代っ子  善正

  課題「金魚」
     真冬でも 金魚の似合う ぬくい部屋  ちえ実
逆らわぬ 金魚に愚痴を 言ってみる  シゲジ
人間の 嘘を金魚は 聞き飽きる    シゲジ
餌付けした 金魚が指を なめてゆく  洋子
猫の爪 金魚の値段 など知らず    シゲジ
今日もまた 金魚体操 忘れずに    洋子
少子化で 金魚のように 育てられ   ちえ実
金魚さん 冬の昼寝は どんな夢    洋子
金魚さん 下手な歌だが 聞いてくれ  善正

  課題「天」
     晴天を 待ちくたびれる 老いの日々  善正
天からの 雨が幸なら 離さない    恵子
     大声で 天に届けと 誓う愛      洋子
飛行雲 天に抽象画を 残す      シゲジ
貧困者 天下り術 使えない      恵子
補聴器に 飛び込んできた 天の声   善正
天あおぎ 雪ごいしてる スキーヤー  洋子
天の風 竜巻となり 大暴れ      善正
天気予報 毎日並ぶ 雪だるま     洋子
天からの 罰だと思う 酸性雨     シゲジ
あれこれと 天の祈りが 多い日々   ちえ実

  課題「音」
     靴音も 軽く聞こえる 春の朝     洋子
葱刻む 音から妻の 朝になる     シゲジ
春が来て 心の音が 語りだす     ちえ実
音立てて 階段昇る 孫の春      善正
そこかしこ 聞こえてくるは 春の音  ちえ実
側溝を 流れる水に 春の音      洋子
靴音で 貴方とわかる ワンルーム   シゲジ
従兄弟会 雨音までが 歌ってる    ちえ実
音もなく 木の葉一枚 肩に落ち    洋子
目がかゆく クシャミ連発 春の音   善正
ドアピシリ 閉めて分かれる 気の女  シゲジ
ポンポン船の 音もなつかし 港町   善正

  課題「腕」
     美味しいと 言われまたまた 腕振るう ちえ実
腰に腕 回すと飛んで来る 吹き矢   シゲジ
年ですと 腕のたるみが 言っている  恵子
腕力で 勝って心で 負けを知り    洋子
捨てる皮 美味しく使う 母の腕    善正
腕組んだ 二人を週刊誌が 暴く    シゲジ
母の腕 荷物と我が子 抱え上げ    洋子
腕により かけて帰省の 娘を迎え   シゲジ
頑張った 腕たくましい 汗滲む    ちえ実
巣作りの腕 くちばしに 小鳥さん   善正


◆《事務局から》 消息 訃報 受賞
    佐藤 ハルミ氏(富山市)  8月 逝去
三瓶 次男 氏(富山市)  9月 逝去
林  清子 氏(射水市) 10月 逝去
松井 利雄 氏(射水市) 11月 逝去
浅井 光子 氏(富山市) 12月 逝去
ご冥福をお祈りいたします。

 受 賞
富山県知事表彰(部門功労) 平成20年10月9日
自立更生者   安田 庄内 氏

厚生労働大臣表彰 平成20年11月7日
社会福祉事業功労者  八箇 勝子 氏 
厚生労働大臣表彰 平成20年12月3日
自立更生者 利田 宗之 氏 

受賞おめでとうございます。                  

◆時事暦(7月~12月)
○ 7月6日 富山県民会館を主会場に、ボランティアと利用者交流会を開催。
 午前中は、音声解説付き映画「雨あがる」の鑑賞と意見交換を行う。 午後は、城址大通りから総曲輪フェリオ界隈をボランティアと一緒に散策。参加者は、利用者53名、ボランティア午前53名、午後48名でした。

○ 7月20日 センタークリーン作戦と銘打って、センターの大掃除を行いました。掃除の後、全員でバーベキューをしてねぎらい、楽しみました。

○ 7月28日~30日 愛媛県において、第54回全国盲女性研修大会が開催され、会員(女性部)4名参加。

○ 8月3日 センターにおいて、午前、治療奉仕と技術交換会、午後から三療研修会を開催。
 研修会演題「日々の臨床の一齣から」 講師:竹島好子氏

○ 8月24日 第34回富山県視覚障害者球技大会を、富山市立南部中学校、及びセンターにおいて開催。成績は次のとおり。

 第25回グランドソフトボール大会(出場22名) 2対1でAチーム
 第34回サウンドテーブルテニス大会
 ・全盲男子の部(出場12名)
 1位 安達 実、 2位 柳沼芳一、 3位 塘添誠次
 ・全盲女子の部(出場12名)
 1位 徳市和美、 2位 舟川由紀子、 3位 本江とみ子
 ・弱視男子の部(出場5名)
 1位 高橋克人、 2位 蟹谷 保、 3位 清水外弘

○ 9月6日・7日 小矢部支部担当で、クロスランドおやべ、稲葉山、宮島峡「滝乃荘(たきのそう)」を会場に、平成20年度視覚障害者と家族激励大会、並びに山岳歩行訓練、あわせて研修会を開催。88名の参加。そして、ガイドヘルプ のボランティア、観光ボランティアのみなさん。

○ 9月13日~15日 岡山県において、第54回全国盲青年研修大会が開催され、会員(青年部)2名参加。

○ 10月5日 センターにおいて、第32回視覚障害者文化祭・福祉機器展を開催。当日の催し物などの概要は、
・アトラクション「アフリカンパーカッション」 演奏 グゥイギ
・生きがい教室発表(コーラス、民謡) ・詩吟 ・カラオケ 
・手芸等作品展示 ・茶席 ・漢点字コーナー ・アマチュア無線公開運用
 ・視覚障害者用具展示(点字器、拡大読書器等) ・福祉機器展(プレクストーク、よむべえ、携帯電話、パームソナー) ・手作り作品販売、飲食物販売、コーヒーコーナーなど、
 会員90名が参加。

○ 10月12日・13日 第17回北信越サウンドテーブルテニス大会が、石川県において開催される。
 個人戦女子の部 優勝 徳市和美
 団体戦 3位 富山県チーム(塘添、徳市、安達)

○ 10月26日 センターにおいて、点字・パソコン競技会を開催。
 成績は次のとおり。
 ・第57回点字競技会(点字板)
 (団体)
 第1位 高岡市チーム、第2位 富山市チーム、第3位 射水市チーム

 (個人総合) 第1位 松波律子
 (個人・一般の部)
 第1位 松波律子、 第2位 上沢淳一、 第3位 関川禮子
(個人・中途失明者の部)
 第1位 塘添誠次、第2位 竹島好子、第3位 谷内幸子
(田島杯)  谷内 幸子

  ・第9回パソコン競技会
 第1位 上沢淳一、第2位 竹島好子、第3位 安田庄内

○ 11月7日~9日 大沢野町ウインディにおいて、地域障害者作品展(富山圏域)が開催される。

○ 11月12日 NTT西日本より、点字電話帳260部が寄贈される。
○ 11月16日 センターにおいて、施設部、三療部会合同による三療研修会を開催する。なお午前中、治療奉仕と技術交換会を行う。
 演題 「鍼灸と出会い」
 講師 (社)富山県鍼灸マッサージ師会広報部長 林博司氏

○ 11月30日 午前中センターにおいて、平成20年度更生相談会、並びに結婚相談室の開催と、後意見交換会を行う。更生相談会では、富山地方裁判所総務課長・藤田一治氏より、裁判員制度について詳解していただく。

午後は、田島名誉会長「米寿を祝う会」を開催。

○ 12月3日 富山駅前周辺において、「障害者週間」街頭キャンペーンを実施。

○ 12月11日 北日本放送(株)より、財団法人日本テレビ系列・愛の小鳩事業団点字カレンダー500部が贈呈される。


◆平成21年度主な行事予定
○5月23日・24日 第36回北信越グランドソフトボール大会(新潟県)
○5月25日~27日 第62回全国盲人福祉大会(京都府)      
○6月14日 定期会員総会                     
○7月5日 ボランティアと利用者交流会               
○7月19日 センタークリーン作戦                 
○8月23日 第35回富山県視覚障害者球技大会(グランドソフトボール、サウンドテーブルテニス、卓球)(南部中学校、センター)
○9月7日~9日 第55回全国盲女性研修大会(神奈川県)      
○9月12日・13日 激励大会、山岳歩行訓練、研修会(魚津市)   
○9月19日~21日 第55回全国盲青年研修大会(埼玉県)     
○9月27日 第33回視覚障害者文化祭・福祉機器展         
○10月25日 第58回点字競技会・第10回パソコン競技会
○11月15日 三療研修会
○11月22日・23日
        第18回北信越サウンドテーブルテニス大会(富山県)
○12月6日 更生相談会

◆《編集後記》
 100年に一度といわれる世界的な大不況が、昨年の秋から急激に襲ってきたようですね。そして、長引く景気低迷で職を失った人たちが多くなったようですが、会員の皆様には、お健やかでご活躍のことと思います。   
 さて、雪代第59号をお届けできる運びとなりました。行事報告や大会参加報告、また、みんなの広場では塘添さんの剣岳登山の涙ぐましいエッセイなど、盛り沢山寄せられました。どうぞ皆様お楽しみ下さいませ。    
 ところで、私こと長年雪代の編集に携わらせていただいておりましたが、今回を持ちまして担当を降りさせていただくことになりました。     
 会員の皆様方には、ご迷惑とは思いつつ、原稿依頼を御願いしましたが、いつも皆様快くお引き受けしてくださって、とても感謝しております。  
 本当に長い間皆様方に御世話になりまして有難う御座いました。これからも雪代が更なる発展をしますよう、お祈りしながら筆を止めさせていただきます。
                   文化部部長 竹島 好子

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